2008年8月11日月曜日

80后世代、月収2千元のプチブル生活

最近中国で話題になっているらしい80后世代。80后とは1979年頃から実施されたいわゆる「一人っ子政策」以降の80年代に生まれた世代のこと。過保護に育てられたためわがままで忍耐力に欠けるという負のイメージがある一方、感覚的に洗練されていて流行に敏感、旧来の考えに捕われていないといった肯定的な見方もある。まぁ良くも悪しくも「イマドキの若者」といった感じで使われているみたいだ。最近は日本のウェブ記事とかでもちらほらこの言葉を見かけるので、中国の掲示板で面白そうな書き込みでもないかな~と漁っていたら、こんなのがみつかった。

「80后的我月入2000,在北京照样过上小资生活」

つまり、月収2千元(=3万円ちょっと)でも北京で小資の生活が送れますよ、という記事。小資ってのは直訳すればプチブルということ。もともとは資本主義の手先みたいな感じの一種の蔑称だったと思うけど、今はむしろ、教養があって趣味も洗練されている小金持ちのホワイトカラーみたいな肯定的な意味で使われてるらしい。

小資の一般的なイメージと言うと、ブランド服に身を包んで自宅マンションから車で出勤、昼間はバリバリ仕事をして、夜はレストランで食事をしたり、オシャレなバーでお酒を飲んだり。週に1、2回はスタバに行ってコーヒーを飲み、ときには流暢な英語で外国人の友人とおしゃべりする、といったところだろうか。

そういうわけで、月給2千元じゃとてもじゃないけど小資生活なんて到底ムリなはずだけど、この記事を投稿した人は2千元でもやってけますよ、と言っている。なかなか面白かったので翻訳してみた。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

80後世代、月収2千元でも北京でプチブル生活

私は24歳の女性で、仕事を始めてちょうど1年たったところ。北京の恵新西街近くの某IT会社で働いてる。毎月の収入は保険料を引いた手取りで2000元。北京みたいな大都市ではちょっと少なめだけど、しっかり自己管理してさえいれば、月2000元でも心地良く快適なプチブル生活が送れるって思う。これから書く私のやり方をみんなにも知ってもらうといいな。

1. 住まい。プチブルとしては、まずは快適であること。私はルームシェアすることにしたわ。これで月々200元で天通苑の3LDKのマンションに住める。部屋は清潔で快適、エアコン、テレビ、シャワー付き。通勤もすごく便利だし、異郷の独り暮らしでも孤独なんて感じない。

2. 食事。プチブルとしては、新鮮で健康的な食事を求めたいところ。
朝食はだいたいセブンイレブンの野菜まんか肉まん、あとヨーグルトかネスカフェをつける。たまには陽光早餐の豆乳か豆腐花、それに油餅か揚げパン。これで一ヶ月計60元。
昼食は必ずたっぷりとる。できるだけ肉・魚と野菜とのバランスを考え、栄養も十分に。いつもは肉か魚1品、野菜1品、スープ1品の定食、毎日メニューを変えても値段的にはおトク。月曜から金曜まで1日8元として一ヶ月計160元。週末は自炊するのでさらに安く、8日で計50元、合計で210元。
夕食。最新の健康法は少食、早食、粗食だから、サラダかスープで済ませてる。自炊すれば簡単で便利だし、一日に必要なビタミンを十分補給できるわ。サラダはたいていリンゴか梨をメインにしたもの、スープは青菜のスープが多い。これで一ヶ月計60元。
水は、会社に給水器があるし、ミネラルウォーターも無料。平日は会社の水を飲み、帰宅前に水筒に水を詰めて帰れば、夜の分もこれで十分。清潔だし節約にもなるわ。週末は農夫山泉の大ボトルを2日かけて飲むから、1本5元として一ヶ月計20元。

3. 交通。毎日地下鉄5号線で通勤。便利だし早いし、エアコンも効いてる。一ヶ月計80~100元。

4. フィットネス。今北京のマンションにはみなフィットネス設備が付いてる。私はこれを「露天フィットネスクラブ」って呼んでるの。器具はあんまりそろってないけど、空気は新鮮だし、毎日食後1、2時間は運動して健康維持してる。気分も晴れるし。これは無料。

5. 高級な読書。プチブルだったら自己研鑽は欠かせないわ。昼休みは会社のPCを使えばニュースや最新の文章を読める。週末は地元の図書館へ。無料。

6. 娯楽。マンションの事務所のお姉さんと仲良しなので、週末時間があるときは彼女とおしゃべりし、ついでに最新の映画を見るの。無料。

7. 衣服。服を買うのが嫌いな女の子なんていないわ。私だってそう。いつもは行くのは西単。地下鉄で一本だし、おしゃれだし、デパートは毎週末セールをやってる。ほかに明珠や華威とか安いところもあるわ。月250から300元。

8. 旅行。毎月1回、週末に旅行。まだ行ったことのないところをあちこち。予算はたいてい1000元以内に収める。窮屈な思いはしたくないし時間も節約できるので、たいてい飛行機で。さすがに見ず知らずの土地なので安全のためいつもちゃんとしたホテルに泊まるけど、飛行機の予約はたいてい快楽e行のウェブサイトで、それも格安チケットがあるときに買うの。先月は瀋陽に行ったわ。行きは航空券が81%引きの110元、航空券税と燃料費も入れて240元。帰りはチケットが6割引の280元、税と燃料費込みで410元。宿泊は一泊158元の三つ星ホテル。環境もいいし快適。ホテルを出るとすぐカルフールがあり、食べ物を買うのも便利で安かったわ。快楽e行を使う理由の一つは、ここのポイント制度が気に入ってるから。通常はチケット代総額の1%(格安券でも同じ)がポイントになる。加盟ホテルだと最低38ポイント、ポイントはウェブ上のポイントショップで品物に換えられる。私は毎月だいたい40~50ポイント貯められるので、2ヶ月に1回くらい換えてる。先月は69ポイントでシャネルのマスカラNIMITABLEマルチダイメンションに換えた。だいたい4,5ヶ月は使えるでしょう。これで化粧品も節約だ~。

9. 貯蓄。以上をまとめると、まだ毎月50~120元ほど残せるので、銀行に預けておくの。塵も積もれば山となるって言うでしょ。そのうちもっと貯まったら投資に回してもいいかな。

というわけで、これが小娘の私の毎月の生活で~す。いかがですか?みなさんこれでプチブルって言えると思います?ネットで私よりもずっと稼いでる人たちが、自分の生活がどんなに辛いかグチっているのをよく見かけます。でも私が言いたいのは、ほんとうはプチブルになるのは簡単だってこと。肝腎なのは楽観的で積極的な意識を持ち続けることなのです。

~完~

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

以上で終わり。けっこうケチケチしてるけど、旅行には結構お金を使っている。この記事にはコメントが結構ついてるので、賛否両方をそれぞれ簡単に紹介しておく。

<肯定的なコメント>
・すごい。つえぇ~。
・うまくやってると思う、ずいぶん節約してて。オレなんか毎日忙しくて自分の生活のことなんて頭が回らないよ。メシ食って、友達に貸したりして、あとちょっと買い物するとすぐ足りなくなる。いつもカネないよ。
・計画的だ。
・オレは7000元もらってて毎月友達に借りてる。何で足りないんだ?
・うらやましい~生活。

<否定的なコメント>
・化粧代とか入ってないけど、化粧しないの?スキンケア用品とかけっこう高いけど、どうしてるの?
・スタバにも行かないでプチブルって言えるか?
・ケータイ電話代、電気代、水道代、歯磨き粉、トイレットペーパー、いろいろ入ってないじゃねーかよ。
・友達と飲みに行ったりしないのか?
・天通苑で家賃200元ってありえない。1部屋に5人で住んでるのか?
・これって快乐e行の広告でしょ?

僕の個人的な感想としては、やっぱり旅行会社の遠回しな広告じゃないのって思う。さすがに月給の半分を旅行に使う(しかも週末に飛行機に乗って行って帰ってくるだけ)ってのはありえない気が・・・

2008年7月27日日曜日

超絶技巧珈琲

Youtubeで遊んでたら、こんなのを見つけた。

出神入化超級沖咖啡技術(超絶技巧珈琲サーブ術)

最近ときどき雑誌で見かけていたので、流行っているらしいとは知っていたけど、実際に飲んだことはなかった。まさかYoutubeで作り方が見られるとは思わなかった。しかも上のビデオクリップ以外にも、たくさんアップロードされている。

こういうのをデザインカプチーノと言うらしい。goo辞書にもすでに採録されている。他にラテアートという言い方もあって、こっちもgoo辞書に載っている。Googleで検索するとヒット件数はほぼ同じで、強いて言えばラテアートがちょっと多いくらい。ただデザインカプチーノの方は和製英語っぽいので、英語で"design cappuccino"と言っても通じそうもない。"Latte Art"だったらWikipediaにもエントリがあるので大丈夫そうだ。

Latte Art - Wikipedia

このほかにも、コーヒーアートって言うこともあるらしい。これも英語で"coffee art"と言ってもOKみたいだ。ただコーヒーアートだと、コーヒーに関する各種の技術や技巧、みたいに広い意味に取られかねないので、やっぱりラテアートと言うのが一番無難かつ通用度も高そうだ。

中国人はあまりコーヒーを飲まないけれども、中国でもラテアートは意外にも流行っているらしく、検索すると結構な件数がヒットする。上の動画もそうだが、Youtubeにも中国語でたくさんアップロードされてるし、作り方の書籍なんかも出版されている。

中国語ではラテアートは花式咖啡と言う。「花」は「花样」、つまり模様とか図案の意味。このほかに、咖啡拉花という言い方もある。「拉花」は辞書で引くと「花飾り」となってるけど、たぶんここでは模様を描くっていう意味なんじゃないかな(と思う)。あと拿铁拉花という言葉もあるようだ。「拿铁」は(カフェ)ラテの意味。Googleや百度のヒット件数でみる限り、花式咖啡が一番ポピュラーな言い方みたいだ。

* 2016/2/13 リンク切れを修正

2008年7月20日日曜日

中国 IT開発エンジニアの悲哀④

の続き)

第6の道:起業する
ははは、このタイトルを見て瞳孔が広がりましたね。あなたはきっと会社設立を幾度となく考えたことがあるはずです。ははは、私も開発に従事していたころ、毎日起業することを夢見ていました。2、3年したら機会を見つけて自分で起業する、といつも夢想していましたが、そうした夢は人を苦しめると同時に、また希望をもたらすものでもあります。ちょっと見てみましょう。開発から起業した人は結構多いものです。その中には、成功した人もいれば失敗した人もいます。起業するときはふつうは何人かの仲間で始めるものです。技術担当や営業担当などが意気投合し、またグルになって、そうした一大プロジェクトを共同で画策するのです。一般的に、こうした人たちに最初の一歩を踏み出す決断をさせるような場合、製品は間違いなく先進的であり、ときには国内唯一であることもあります。マーケットも大きく、営業マンはたいてい胸を叩いて必ず売れると請け合い、それからこっそりと、どこそこのエラい人が妻の弟の同級生の叔父さんだから絶対大丈夫、と耳打ちします。そこで彼らは場所を探し、登記を済ませ、中古の机を購い、数台のコンピュータを手配し、さらに各人が数万元の現金を工面してきて、さあ営業開始です!

製品はあっというまに出来上がり、営業マンたちも期待に背かず、何人かの顧客が試用を申し込んできて、見たところ一切が順調に進みます・・・あなたは社長の札のついた席に座っている。人が入れ替わり立ち替わり業務報告にやって来て、あなたに書類のサインを求める。慌しく人が出入りする中で、あなたは「会社がどんなに窮地に陥っても椅子が1個ということはありえない」という例の話を思い出し・・・そんな夢想の中で思わず笑い声を漏らしてしまいます。ことほどさように順調なのですが、すぐに注文書がやってきて、当初掻き集めたお金では足りなくなります。それでも、あなたがたは喜んで各自追加資金を投入します。お金を出すとき、あなたはお金を数えながら目に涙をためて言うのです、「これがそのうちきっと利益を生んでくれるさ」と。開発した製品は確かに優れていましたし、営業の販売成績も良く、顧客もだんだんと増えて、また注文書も次々にやって来ます。毎日が高揚した気分にある中で、唯一問題なのは、顧客の支払いがいつも遅れがちなことですが、彼らはあと2、3日、あと2、3日したらすぐ払う、と請合うのです。代金回収はいつでも予定通りに行かないので、キャッシュフローを滞らせないために、またもやお金を工面します。この頃には一抹の不安が心の中に芽生えてきます。というのも、あなたの預金通帳がそろそろカラになりつつあるからです。「大丈夫、2、3ヶ月して代金を回収すれば、すべて問題解決だ。起業するのに何の苦労もしなかったなんて人はいない」 そう自分に言い聞かせて、またも仕事に舞い戻ります。資金はいつも代金回収と製造経営費用との橋渡しをする細く頼りない丸木橋のようで、帳簿上はいつもカツカツ、会社の規模の拡大や予期せぬ事態の発生のため、1度ならず2度、3度と共同経営者と自分の資金を投入し、その後はたぶん借りて来たお金で賄っていることでしょう・・・

そしてついにある日、会計担当がまたもあなたにこう言ってくるのです。「社長、現金が底を尽きました」 何度も苦い経験をしたあなたは、ついにキャッシュフローを見直すことを決心します。不要な人員を整理し、開発に投入する人数を減らし、営業が契約を締結するときは必ず代金のXX%を前払いし、割戻しも代金を受け取ったあとに支払うようにし、それと同時に製品の製造コストの管理も始めます。時は1日また1日と過ぎて行き、競争相手の製品もあなたの会社の製品のコピー品を作ったりして、自社の製品がだんだんとかつてほど先進的ではなくなり、営業部員も契約時の支払いに関する規定が厳格すぎてなかなか契約が取れない、と不平を言い始めます。製造コストの低減もまた通常バグの増加を引き起こし、顧客からも貴社のサービス要員は対応が遅いという不満が聞かれ始めます。

とうとうある日、あなたは改めて職業紹介センターに赴きます。前に来たときは人員募集に来たのですが、今回は自分の履歴書を携えて仕事を探し始めるのです・・・会社が成功するかどうかは、製品や販売が関係しますが、それよりももっと重要なのは資金と関係があるということです。製品と販売は資金を通じて補強できますが、何をもってしても資金には替えられないのです。つぶれる会社のうち、およそ99%は運転資金の枯渇と関係しています。起業を決断する前に、まず会社が必要とする1年分の資金の額を見積もりましょう。これには、人件費、製造費、場所代、広告宣伝費、営業費用が含まれ、さらに電気代、水道代等々・・・思いつく限りすべての費用を積み上げ、得られた数字がつまりは・・・あ、ちょっと待って・・・実際に起業した経験がないなら、この数にさらに3を掛ける必要があります。そうして出てきた金額が起業後1年間で最低限必要な費用です。ハハ、実際に会社運営に必要な費用は想像の3倍以上ですが、私の話を信じなくってもこればかりはどうにもなりません。

ささやかな提案:
起業以前で最も重要なことは、まず後の資金源を確保しておくことです! 言い換えれば、資金不足に陥ったらどうするかということ――なぜならあなたの自己資金だけでは絶対に足りないからです。

第7の道:副業
この類型に属する友人は数多くいますが、彼らは開発職から離れてはいません。ただし、勤務時間外にも絶えず仕事を請けたり、製品を販売したりしています。会社ではそれほど目立った存在ではありませんが、他の人から言わせれば、彼らはもっとも残業を嫌う人たちです。このため彼らは一般的に、日中熱心に仕事をします。この種の人たちは必ずしも稼ぎが多いわけではありませんが、平均すれば同僚と比べて1年で数万元ほど多く稼いでいますし、ときには会社の給料よりももっと稼いでいることもあります。ただどことなく怪しげなのは、この人たちは生活の安定を特に重要視していて、基本的に転職などはしないことです。たとえ陰ですでに小さな会社を立ち上げていたとしても、ふつうは会社を辞めたりはしません。

あなたの周囲にこうした人はいますか?この種の人たちを見分けるのは簡単です。彼らは電話することが多く、しかも電話するときは仕事場から離れて、人のいない片隅で話をしようとします。どこか謎めいていて、「こいつ女でも囲ってるんじゃないの?」といった感じがするのです。またこの人たちは女性にとって最適の結婚相手です。家庭的で、どこかの金持ち連中のように浮気などせず、収入もふつうの人と比べてかなり高めです。但し、この種の開発職の友人を見た限りで言えば、ちょっとがっかりするような結論に至ります。つまり、この種の人たちはたいてい背が低く、ビア樽みたいな体型なのです・・・

ささやかな提案:これはたぶん、開発者にとって一番良い道ですが、比較的高い収入があると、人は一般的にリスクを冒したくなくなります・・・これまでのところ、私の知る範囲では、この種の人たちで本当に成功したと言える人は1人もいません。

というわけで、自分がたまたま経験しただけのことでは、内容のある話などとてもできませんし、また自慢できるほど成功しているわけでもありませんが、ただ他の人たちよりも多少なりとも馬齢を重ねているため、これまでに少しは多くの人を見てきたはずです。そういうわけで、あえてこのような文章を書き、貴殿を笑わせてみました。以下は、たまさか開発という道を歩んできて、その経験から得られたちょっとした心得です。別に読まなくてもいいですが、読んだとしても決して驚かないでください。

1. 宮仕えであれ自分の事業であれ、全身全霊で仕事に打ち込むこと。どんな仕事であれ、それで人生における手札が1つ増えるのですから、これは何よりも一番重要なのです!そうした例を、私は少なくとも2つ挙げられます。かつて優秀な開発者が別の新会社に引き抜かれ、さらに多少の株まで与えられて新会社の株主になった例があります。当時、彼と同じ部門で同時期に、あるいはもっと先に仕事を始めた人が大勢いましたが、彼らは常日頃から暇を見ては仕事をサボり、手が抜けるところは手を抜き、ときには日頃熱心に仕事をしている人をバカだと嘲っていました。数年後、バカだったのは一体どっちだったんでしょうか?

2. もっと営業部門の人たちと付き合いましょう。彼らと付き合うと、彼らは自分より知識で劣り、ひどいときには教養がないときっと思うことでしょう。それにたぶん、あなたより女好きです。でも実のところ、彼らはあなたよりも世間というものを知っているのです! 彼らの世界に入って行って、彼らと一緒に賭け事をし、雑談し、サウナに行き、・・・彼らとの付き合いを通じてまた別の世界に触れられるのです。

インターネットまたはその他の場所で本職の仕事以外で何かプロジェクトや製品開発に参加する機会があったら(友達に引っぱられて何かちょっとした商売をするような、開発ではない仕事も含む)、たとえそれがお手伝いのような性質のものでも、積極的に参加しましょう。少なくとも多くの人たちと知り合いになれますし、そうすることであなたの人生においても多くのチャンスが得られることでしょう。

                                               ~完~

中国 IT開発エンジニアの悲哀③

の続き)

第2の道: 技術サポート、管理部門、製造部門などに転進する
同業者の一部は、何年か開発に従事した後、自分自身そんなに開発が好きではないとか、あるいは上の人から強制的に仕事を命じられたといった理由で技術サポートやサービス部門、管理部門などに移って行きました。少なくとも当時は、見た目には開発職よりも若干給料は少なかったのですが、実際に統計を取ってみると、彼らの半数は出世してサービス部門や管理部門の管理職になっていることがわかりました。中でももっとも優秀な一人は、社長補佐となって経営陣入りしていたのです。この類型の人たちのほとんどは、商売替えした当時は自分から願い出たのではなく、強制されてやむなく、もしくは何か別の原因があって転進したのです。しかし彼らは専門知識と技術を備えているため、非技術部門では明らかに抜群の人材でした。ことあるごとに専門家の視点から意見を提出し、そうこうして月日が経つうちに昇格や昇給の機会に恵まれたわけですが、これは別に意外なことではありません。仕事が開発でないため、経験が蓄積され始めます。この種の職業は一般に人に安定した感覚を与えます。30歳代以降になると、この分野はむしろ開発職より簡単に新たな仕事の機会が得られることに気づくことでしょう。

ささやかな提案: もし開発部門でどう見ても今後発展向上の機会が無さそうなら、試しに他の部門に異動してみても良いでしょう。生き方を変えてみて収入が多少減ったとしても、チャンスは多くなるのですから。

第3の道: 開発マネージャ
あなたが今すでに技師長とか開発部部長だったり、まもなくそうした地位に昇進する見込みがあるのだったら、おめでとうと言いましょう。あなたの行く道は、弼馬温から闘戦勝仏へ至る栄光の道です。あなたは高度な専門技能を身につけているだけでなく、コミュニケーション能力も明らかに優れています。あなたのような人は将来に対して何の心配も必要ありません。たとえ無一文になったとしても、たやすく徒手空拳から身を起こせるでしょう。魔除け剣法の達人と言って良いです。ウーン、もう言うことはありません。あなたがこの類型の人かどうかは簡単に判定できます。囲碁の世界では20歳で名手と呼ばれなければ一生望みはありません。

それと同じように、3、4年も働いて27歳かそこらになれば、自分で開発している時間よりも他人に指図している時間の方が多くなっていることに気づくことでしょう。しかもここの人たちは、これくらいの年齢ですでに自分の下に「手下」を持っているはずです。逆に、そろそろ30歳だというのに、まだ毎日PCの前にうずくまってプログラムや回路図を書いていたり、30過ぎでまだ開発部門の長になっていないのであれば(本人はいつだって自分もまだ十分望みはあると思っているものですが)、基本的にこの類型の人ではないと断定できます。とにかく、ここに属する人であれば考えるべきことはただ一つ、できるたけ早くミドルからエグゼクティブの出世の階段を駆け上ること。人生はときに偶然に大きく左右されます。しっかり自分の地位を固めておかないと、いつ転落するかわかりません!

ささやかな提案:
毎日社長の家に行ってゴマをすること!

第4の道: 留学または大学院へ行く
私の友人の中に、開発業務に従事したのち海外へ渡った人が2人います。そのうち1人は臨時職員から始めてチーフエンジニアの地位にまで登りつめ、データベースとソフトウェアに関しては非常に高い能力を持った人でしたが、それでも心の底では満足できず、何年も働いて貯めたお金を下ろし、苦労して貯めたお金をすべて出国費用や飛行機代に当て、さらにいくらかのお金を借りて、2002年に一万ドルを携えてカナダに行きました。カナダでは休む間もなく、求職、転職、また転職のくり返し、見つけた仕事は基本的にコンピュータとは無関係でしたが、給料はいつも1500カナダドル程度。ははは、人民元に換算すると、国内で仕事をしていたときにもらっていた給料と大して変わりませんね。でも、借りている地下の部屋代に300カナダドルが消え、それに食費を払い、さらにコンピュータを買ってインターネットを使ったりしていると、平均ではほぼ毎月赤字なのです。以前もらった手紙には、今は所持金が5、6000ドルくらいしかなく、最後に一縷の望みをかけて、小さな会社を作って中国向けに何か物が売れるかどうかやってみる、と書いてありました。もう1人の友人はそれよりも少し早くオーストラリアに行きましたが、まず1年ほど葡萄摘みをし、それから何とか技術関係の仕事を見つけることができました。毎日機械の設計図を書いていて、収入はそこそこで3000オーストラリアドル、中古車も買って一応資本主義社会で悪くない生活をしていると言えるでしょう。ただおととし一度帰国したとき、唯一嘆いていたのは、外国で2000米ドルの生活よりも、中国国内で5000元の生活の方がはるかに快適だということでした。

大学院に行った友達も2人いますが、そのうち1人は厳密に言えば開発出身ではなく、マーケティングに近い仕事をしていました。私の知り合いのには大学院を受けた人は少ないので2人分しか事例がないのですが、1人は大学院を終えた後北京で就職しました。月給は5、6千元くらいになりましたが、やはり開発職で、生活は大学院に行く前と何も変わらず、将来についても大した光明は見出せていません。相変わらず今後どうすれば良いのかわからず、まさにその日のことはその日に考えるといった様子で暮らしています。もう1人は大学院を卒業後大学に残りました。給料は以前よりもだいぶ減りましたが、たださすがに定年まで身分が保証されているので生活も安定し、一応それなりに成功したと言えるでしょう。こうした人たちは、緊張から開放されると空いた時間に何かやってみようと考える余裕も生まれ、今頃は少しずつ見通しがつき始めた頃でしょう。

ささやかな提案:この2つの道は、開発者にとってはどちらもあまり良いとは言えません。海外も10年前は良かったのですが、今は何とも言えません。大学院へ行って首尾よく転進できた人の割合はおそらくさほど高くないでしょう。半分以上はやはり開発の仕事に就き、院卒なので何年か長く仕事ができるだけです。

第5の道: 営業に転進する
よくよく考えてみると、私の知っている人の中で営業に行ったのはたった2人しかいません。それにこの2人はいずれも友人とは言えず、ただの知り合いでしかありません。彼らは2人とも自ら進んで営業に行ったのですが、その結果どちらも1年ほど営業の仕事をしたのち、自分の会社を立ち上げました。ハハ、不思議ですね、転業成功率は極めて高いです。ただよく考えてみると、この2人の考え方には本当に感服させられます。一ヶ月5、6千元の給料がもらえる開発職を捨てて、勝手のわからない仕事を始め、給料は毎月2千元プラス歩合給、しかも歩合なんてどうなるかわからない。それでもそう決断したのだから、彼らが自分の将来をはっきりと把握し、用意周到な準備をしていたとしか思えません。それに彼らはサービス部門や製造部門ではなく、あれこれ苦心の末なんとか上の人を説得して営業へ行ったのですが(営業部門と開発部門はふつうは会社のコア部門であり、そこに行くのは実のところ容易ではありません)、それも長期的な展望があったからだと言って良いでしょう。技術もあり、さらに顧客と関係を築くことができれば、ほどなくして大きなチャンスが到来するのも当然のことです。

実力を備え、入念な計画を持ち、加えて強い決断力があるこの類型の人たちは、おそらく大学卒業時か、あるいはもっと早い時期にすでに自分の生きる道を決めていたのでしょう。彼らが踏み出す一歩一歩は何年か前にとっくに周到に計画されていたのです。後から見ればそれは、技術の習得→営業へ転進→商機を待つ→会社設立という、何とも明快な道であったことが判ります。小学生や中高校生だったときは、誰もみな大学進学が自分の行くべき道だとはっきり知っていました。でもそれと同じように、最後に真に目標を達成できる人はごくわずかです(もちろん、大学定員がとんでもなく拡大した今では話は別です。今話しているのは私たちの時代、つまり「大昔、私があなたくらいの年齢だったころ」の話です)。

ささやかな提案:あなたがこの分類にあてはまるのであれば、私の提案は、え~と、、おいおい、ちょっと待ってくれ、君にちょっと協力してもらいたいことがあるんだ、お~い。

に続く)

中国 IT開発エンジニアの悲哀②

の続き)

もう1つ重要な点は、コンピュータという代物はあまりにも進歩が早く、2、3年前に買った最高スペックのコンピュータが今ではどう見てもゴミ同然になってしまっていることです。これだけならまだ良いのですが、もっと頭に来るのは、ほとんど毎日新たな知識を学ばなければならないことです。卒業したばかりの頃は教科書で学んだPASCALしか知らず、エッチングで回路基板が作れるだけ。就職するとすぐTURBO CとTANGER 2.0の勉強を始め、習得したと思ったら喜ぶ間もなくBorland C++とProtel 3.0の勉強を開始し、やっとモノにしたと思ったら今度はVCとProtel 98の勉強が必要なことに気づく。組み込み系も同じ。Z80の命令に習熟しても、それを仕事で使う間もなく8031を勉強しなくてはならず、ちゃんと習得したあかつきには一生これで食べていこうと思っていたのに、気づいてみれば今度はPIC、DSP、CPLD、FPGA、ARMなどが出てくる。しかもこの中にはまだその途中で学ぶべき74シリーズ、4000シリーズ、ナントカシリーズ・・・が入っていません。おまけにICカードにもCPUカードというのがあり、私が思うに、もし習得した知識を一文字ごとにことごとく換金できたら、開発者はみな大金持ちになっていることでしょう。

ちょっと見渡しただけでは、こうした生活は先々までは見通せないかもしれません。若いころは好きなことに没頭していれば疲れなんて感じなかったかもしれませんが、今となってはいつまでこんなことが続けられるか、きっと疑問を感じているはずです。誰だって「仙剣奇侠伝」みたいなRPGゲームで遊んだことがあるしょう。スタートしたばかりのときは、一文無しの少年に過ぎませんが、怪物を退治し、宝物を拾い、秘術を修めると、最後はついに偉大な英雄になるのです!あなたは現実の生活の中でゲームの侠客キャラよりももっと苦労しているのに、どうして生ける英雄になれないのでしょうか?ははは、原因はこうです。開発という仕事は尋常ならざる技だからです。この技は、習得すればたちまち小金持ちになれるのですが、その最大の特徴は経験が蓄積されないことです!知識は日進月歩で更新されていくため、いつも自分が遅れているように感じるのです。ちょうどRPGの主人公のように、始めたばかりですぐ剣1本と良い鎧兜をもらえますし、けっこう高い位階が与えられますが、経験が蓄積されないために、怪物を征伐し始めた頃は爽快でも、時間が経つにつれていずれは悲惨な死を遂げることがわかってくるのです。開発以外の職に就いている同級生とちょっと比べてみれば、すぐに判るはずです。たとえば、医学を学んだ友人と比べてみましょう。岳不群老人が華山の剣宗と気宗の区別について述べたくだりに当てはめて言えば、こうなります。「最初の十年は収入・地位いずれも開発がはるかに良いが、その後十年は両者どの点でもさしたる変わりなし、だが二十年以降はいかなる点でも医者とは比べ物にならん!」 ほら、もう魔除け剣法を笑えなくなってきたでしょ?

「敢えて問う、道は何処に有るか?道は足下に有り・・・」 孫悟空と猪八戒はこれでも良いかもしれませんが、あなたはどうでしょうか? 多くの開発者の30歳以降の生き方について以下にまとめてみたので、開発者の「道は何処に有るか」、そして開発者は30歳以降どうすれば良いのかを一緒に見ていきましょう。

第1の道: この「将来性」ある仕事を続けましょう!
手と足の指を使って仔細に勘定してみると、結構多くの同業者が30歳を過ぎてもまだ開発に従事しているのに気づきます。ここで言う「従事」とは、今でも毎日コンピュータでプログラムや回路図を書いているということです。下に部下がいるかどうかに関わらず、またナントカプロジェクトマネージャとか、上級エンジニアとかの肩書きが付いているかどうかに関わらず、まだ自分で開発しなければならない立場である限り、「従事」しているとみなします。その中の最年長者は63年生まれで、医療機器の開発に携わっています。35歳くらいでまだソフトウェアやハードウェアの開発をしている人も山ほどいます。このようにこの年でもまた開発に携わっている同業者を分析してみると、大体次のような特徴があることがわかります。

1. 仕事またはコンピュータのマニアで、夜8時から12時までの時間は基本的にパソコンデスクか仕事机の前で過ごしている。
2. 人付き合いが嫌い、友人が少なく、常日頃連絡を取っている人は5人以下。
3. 友人との付き合いでは、仕事の話をすることが多い。ただし、通常自分からお金の話をすることはない。
4. 体型は太っているか、痩せているかのどちらか。中間はない。
5. 将来の計画が無い。5年後の自分の生活がどうなっているか、どんな仕事をしているかはっきり言えない。
6. 倹約家で、みだりにお金を使わない。

たとえあなたがまだ30歳未満の開発者だとしても、上記にいくつ当てはまっているか見てみると良いでしょう。30歳以降もまだ開発職に従事しているかどうか、4つに適合していれば擬似陽性、5つ以上だったらこの類型であることはほぼ確定でしょう。この類型の人たちはたいていその日だけしか考えていないような生活を送っていて、この年齢となっては安易に転職もできず、若いときの鋭気もだんだんと失っていきます。唯一変わらないのは、いつの日か天から大金が降って来るのを願っていることです。実を言えば、彼らは性格的に限界があって、今後職場でこれ以上上に行けないのはほぼ確実と見てよいでしょう。小さなグループのリーダーとして数人の部下を率いて開発するくらいで、すでにキャリアの頂点なのです。

今後どう生きていくかに至っては、自分自身見当がつかないばかりか、たぶん天の神様にとっても頭の痛い問題でしょう。ただ、この類型の人たちは奇妙な共通点があります。彼らの子供はみな男の子なのです!これが偶然なのか、何か説明できる事情があるのかわかりませんが。

ささやかな提案: 運命を変えたければ、まず性格を変えること。半年間は夜仕事やゲームをしたり、TV見たりするのはやめ、その時間を人付き合いに使えば、あなたの人生は変わるかもしれません。

に続く)

中国 IT開発エンジニアの悲哀①

先日中国のウェブサイトで「IT开发工程师的悲哀」(IT開発エンジニアの悲哀)というすごく面白い投稿を見つけたので、ちょっと古い(2年前)投稿だけど翻訳してみた。日本でも「プログラマ35歳定年説」なんてあるけど、これを読むと、中国のIT開発者も30歳を越えると日本と同じくそれなりに厳しい状況だということが良くわかる。まぁ、それでも日本よりはずっとマシだとは思うけど。

日本のIT業界というと、もともと3K(きつい・きびしい・帰れない)などと呼ばれて評判が悪かったのが、最近ではKが増えて5K7K10K、挙句の果てには42K(!)というのまで出てきて、いまや最底辺の仕事みたいな言われようだ。中国でもIT業界は残業が多かったりするみたいだけど、日本と違って給料は良いし、自他ともに認める優秀な人材がプライドを持って仕事をしているという印象があったので、じつは中国のIT開発者も結構厳しい状況なんだというのがわかってちょっとびっくりした。

前置きはこれくらいにして、以下はこの投稿の拙訳。長いので4回に分けて掲載する。

  ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

             IT開発エンジニアの悲哀(翻訳)

        著者:LOVELUCK 提出日時: 2006-4-6 10:35:00

  おめでとう、開発者を職業に選んだあなた!
  ご愁傷様、開発者を職業に選んだあなた!

この文章で開発エンジニアと言う場合、プログラム開発者もしくは主としてデジタル回路の開発に従事する電子技術者だけを指します。あなたがコンピュータやエレクトロニクス、自動制御などを専門に選んで大学に入ったとき、本当はまだ他の業界で働くチャンスもあったのです。けれども、あなたは頑迷にも、やはり開発者となることを選びました。まさに自業自得です。とは言え、あなたもまた私と同様、世間では前途洋々と思われている「ホワイトカラー」の仲間入りを果たしたことに対して、ともかくようこそと言っておきましょう。あなたがひどく浮世離れした人ででもなければ、たぶん金庸の名著「笑傲江湖」を読んだことがあるはずです。この本には、「魔除け剣法」という奇妙キテレツな術が出てきます。初めてこの技の修行方法を読んだとき、あなたはきっと「なんじゃこりゃ~」と鼻で笑ったことでしょう。でも今私は、本当に辛いことですが、こう言わなければなりません。あなたが選んだ開発という仕事は、あなた自身の人生行路における「魔除け剣法」であり、しかもあなたはもう修行を終えてしまって、もはや後戻りはできないのだと。

大学を出たばかりのころ、同時期に卒業して別の業界に就職した同級生たちと比べて給料も高く、また不断の勉強によって専門知識を深めることで、あなたは生活に充実を感じ、また人知れず知的虚栄心を満たすことができたものでした。学校を出て何年かの間、あなたはしばしば後塵を拝している同級生たちのことを振り返って、内心憐れみを感じると同時に、自分自身もまた日々残業の労多い仕事に対して心の折り合いをつけたことでしょう。「努力をすれば報われる」というのが、相手が友達であれ妻であれ、当時あなたが最もよく口にしていた言葉でした。その次に多かったのは、会社の幹部に対する「ダメなら辞めます」という言葉でした。実際、何回かは本当に会社を去ったこともあったのです。そういえば、当時の数年間は経済条件が良好だったので、家を購入し、恋人と交際し、結婚して子供を作ったのでした。ときには心の中で、あと2年したら車を買うぞと誓ったことでしょう。もちろん、そうした大きな買い物の多くは、分割払いだったかもしれません。それでもあなたは将来に対して自信に満ちていましたし、今のような生活が、良くなりこそすれ悪くなることはなく、永遠に続くだろうと確信していました。

毎日がこうして淡々と、一日また一日と過ぎていきました。そうしてうかうかしているうちに、あなたは自分がそろそろ30になる、あるいはもう30になっていることにはたと気づき、得体の知れない、言い知れぬ不安が心の中に広がってくるのを感じたのです。自分の将来は何年か前みたいに良くなる一方ではないかもしれない、そう思ったかもしれません。そして突然、以前は見下していた同級生たちの少なからずが既に車を運転していて、何人かは自分よりもっと広い家に住み、しかもおそらくは一括払いで購入していることに気づくのです。自分の今の生活は他の同級生と比べてせいぜい中の上でしかありません。仕事をしていて何より不愉快なのは、時とともに上司に対してノーと言えなくなってきていることです。たとえあなたより後に会社に入った同僚が昇格や昇給しても、内輪で友人たちとお酒を飲むときに愚痴をこぼすくらいが関の山で、ボスの前ではあなたの声はますます小さくなり、笑顔もまたますます柔和になるのです。

あなたはついに迷い始めます。「あと何年かしたら、オレは何しているんだろう?」という言葉が心にしょっちゅう浮かんで来ます。開発は若さを資本とする仕事であり、はっきり言えば「若さを切売りする職業」なのです。おや、これはどこか特殊な業界で聞いたことがあるような気がしますね。この仕事の特徴はまず第一に、スケジュールがきついことです。1つの開発プロジェクトに与えられる時間は一般に非常に短く、そのうえ開発管理を謳っている書籍のいくつかは恥知らずにも、1つのプロジェクトを細分化し、その各断片を「マイルストーン」と名付けて開発の進捗状況を厳格に管理することを勧めています。残業にしても、他の業界であれば残業代が出るはずですが、この業界では会社によっては残業代など出たことがないというところだってあります。そりゃそうでしょう、どのみち納期は厳しく、仕事が終わらなきゃ詰め腹を切らされるだけなんですから。そういうわけで、開発という仕事には往々にして、他の仕事にはないストレスを伴うのです。

人は30の坂を超えると、家庭や子供の負担に加え、精力も減退するため、残業時間もだんだんと減ってきます。そうすると経営陣は、コイツはもうトシだな、使えなくなった、と考えます。そして人事部門に次のように指示するのです。「今後開発者を募集するときは、30歳以下に限定すること!」 ハードウェア開発者の場合、年齢の制限はどちらかというと若干緩くなりますが、それでも五十歩百歩です。
に続く→)

2008年7月10日木曜日

秘密基地

もうすぐ3人目の子供が生まれるというのに、まだ名前が決まっていない。上の2人に続き、次も男の子ということはとっくにわかっていたのだが、上2人でアイディアを使い果たしてしまったので、なかなか良い名前が思いつかない。今月末くらいには生まれそうなので、そろそろ何とかしないと・・・などと考えているうちに、上の子が生まれたときのことを思い出して、古い写真を引っぱり出してきた。

この写真は一番上の子が6ヶ月のときのもの。前月に心臓の手術をしたばかりだが、もうだいぶ元気になって笑っている。ウ~ン、この頃は本当に可愛かった! この子も今はもう小学2年生、体が丈夫になったのはいいが、すっかり悪ガキ面になって、赤ちゃんだったころの面影はもうない。おまけに面構えだけでなく、素行も悪ガキそのものだ。

先日、学校の家庭訪問があり、担任の先生が家に来た。僕は仕事で不在だったが、産休中の妻が応対した。家庭訪問というのはふつう、子供の学校での態度や様子、学習状況などを教えてくれるものだと思っていたが、夕方帰宅して妻にどうだった?と聞いてみると、学校の話は一切出ず、秘密基地の話だけで終わったと言う。はぁ?

秘密基地というのは、ウチの子と近所の友達と一緒にどこか近所に作ったものらしく、「オレ、今日秘密基地で遊んだ」などと子供が言っているのを何回か耳にしたことがあったので、僕も一応その存在くらいは知っていた。男の子だったら一度や二度は、そうした遊びをしたことがあるはずだ。だから、それまで特に気にしたこともなく、咎めだてしたこともなかった。

その秘密基地はどこかの家の裏庭みたいなところにあったようだ。子供らが頻繁に遊びにやって来ては、騒いだり、持ってきたお菓子を食べたりしたため、家の人がうるさくて閉口したらしい(ウチの子はひときわ声が大きい)。それで、あなたたちどこの子?と聞いたところ、ウチの子が元気に名前と学校名を答えたため、そのまま学校に通報されてあえなく御用となった。

子供らは先生に叱られて、秘密基地を別の場所へ移動した。しかし、移動した秘密基地へ行くときに、やはりその家の裏を通らなければならず、その際相変わらず周囲をはばからず大声で騒いでいたため、何日も経たないうちにまたもや学校に通報されてしまった。さすがに今回は単に叱るだけでは済まされず、担任の先生ともう1人の先生で現場まで行って事の次第を確かめることになったらしい。それで先生らが子供らに案内させて秘密基地に行ってみると、確かにそこに秘密基地らしきものがあり、お菓子を食べたり、何やら活動した痕跡も残っていた。驚くべきことに、秘密基地にはトイレもあり、聞いてみると子供たちはそこでときどき小便をしていたと言う。ただウチの子だけは小便だけでは飽き足らず、なんとウンチまでしていたらしい。これにはさすがに先生も唖然としたようだが、その日はもうウンチは跡形もなく消え去ってため、それ以上おおごとにはせず、家の人に謝って帰ってきたらしい。

で、その翌日がウチの家庭訪問の日だった。当然秘密基地の話になり、結局事の一部始終を説明しただけで家庭訪問の時間を使い切ってしまった、というわけだ。妻もこのとき初めて秘密基地の実態を知り、だいぶ恥ずかしい思いをしたようだ。やれやれ。

僕は心中ひそかに、家庭訪問のとき家に居なくて良かったと思っていたのだが、数日後たまたま休みを取って家に居たところ、今度は下校途中でウチの子供が行方不明になる事件が発生した。学校や子供の友達の家に電話したりして一騒動になったが、結局家に寄らず無断で友達の家に行っていたことが判明し、親子ともども学校へ行って担任の先生や教頭先生に平謝りに謝る羽目になった。少しくらい悪ガキでもいいが、親に恥をかかせるのはいい加減やめてほしい。

2008年6月13日金曜日

SHAKER+3

先日たまたま中森明菜を聴いて気に入ったので、バラード・ベスト-25th ANNIVERSARY SELECTION-SHAKER+3 と続けて2枚CDを買ってきたのだが、これが聴けば聴くほど良い。ここ2週間ほどはランダム再生にして連日深夜までくり返し聴いているので、一日3~4時間くらいしか寝てない。もはやサルのマスターベーション状態で、睡眠不足で昼間は仕事にならないし、疲労も限界だ。そういうわけで、このブログに書いて吐き出すことにする。そうでもしないと過労で倒れそうだ(というか、もう倒れて昨日病院に行った)。

とは言うものの、よくよく考えてみると19歳のときにモーツァルトを聴いて以来、一部の映画音楽とかを除けば基本的にクラシックだけ聴いていたので、日本のポピュラーな音楽を聴くのはじつに20年ぶり、中森明菜どころか日本のポピュラーな音楽に関する知識はゼロだ。「SHAKER」は10年前のアルバム(発売は1997年)であるにもかかわらず私の耳にはわりと洗練されている感じに聞こえるが、それが本当に洗練されているのか、それとも単に僕が20年遅れているだけなのかはわからない。ま、とにかく何か書かずにはいられないので、内容はどうであれ書いてみる。

*** SHAKER ***

サウンドは全体的に硬質でザラっとした耳ざわり。電子音も多用。リズムの強調された、金属的な乾いたドラムとバス。これに中森明菜のヴォーカルが加わる。地声を前面に出して歌いきるハードな歌唱と、息を柔らかく使ったソフトな歌唱を曲によって使い分けている。このほか曲ごとにアコースティックギター、エレクトリックバイオリン、アコースティックピアノ、胡弓、レコードノイズ、その他さまざまな電子音が入り、音作りが多彩で飽きない。

中森明菜の声は低音が効いていて痺れる。あるときは鋭く支配感をもって迫ってくる。あるときは心のひだをなぞるように、しっとりと歌う。

01. 満月
ちょうど埃のついたレコードを掛けたときみたいに、プツッ、プツッという(意図的な)ノイズ音がところどころに入っている。バラード系(って言っていいのか?)の曲だが、意外にも硬質なサウンドと、しっとりした声の対照が何とも印象的。曲の出だしを聴いて何故かMichael JacksonのThrillerを思い出した。

02. Spicy Heart
これも満月と同じく、切れのあるクールなサウンド+ソフトな歌唱の組み合わせ。ふくよかな声がときどきハスキーに掠れるところが何とも言えずセクシーだ。

03. 夜の匂い
これもしっとり系の曲だが、息遣いがはっきり聴こえるせいか、Spicy Heartよりもさらに声が艶かしい。他の曲と比べると前奏のつかみが弱いので、最初聞いたときは印象が薄かったが、聴けば聴くほど好きになる曲。特に「夜の匂いはいつしか~」からのところの低い声が、体がとろけそうになるほど美しい。つかみが弱いと思った前奏も聴きなれるとこれはこれで良いかなとも思う。

04. おいしい水
前3曲とは打って変わって地声を前面に出して歌っている。次からアップテンポの曲が続くので、この曲はいわばブリッジなのかな。

05. MOONLIGHT SHADOW ~月に吠えろ
ここからアップテンポな曲が続く。ハードなサウンド+ハードな歌唱の組み合わせ。このMOONLIGHT SHADOWは人気の曲のようだが、他の曲と比べるとわりと尖ったところのない、普通っぽい感じに聞こえる。それだけバランスが良いということなんだろうか。

06. 赤い薔薇が揺れた
題名から受ける印象とは裏腹に、完全にプログラミングされた酷薄なリズムの上でハードに歌う曲。明るいようで暗い不思議な作品だが、どこかアンバランスなところが逆に魅力的だ。

07. APPETITE ~ HORROR PLANTS BENJAMIN
「あいつの二酸化炭素が食べられる」とか、妙な歌詞だと思ったら、主人公が観葉植物のベンジャミンという設定になってるらしい。タイトルがAPPETITEというのもすごい。そう言えば、Hall & OatesのManeaterなんて曲もあったが。ベースのリズム、ブラス、ヴォーカル、すべて文句なしにカッコいい。一番好きな曲。

08. 夢見るように眠りたい
左右2本のギターのデュオで西部劇のように静かに始まる。それからエレクトリックバイオリンが切り込むように入り、それからヴォーカル。この出だしはすごくいい。歌も初めは低音で抑え気味に、サビの手前から強烈なビブラートで一気に駆け上がる。歌唱も強烈だが、バックのギターとバイオリンも鮮烈なので、中森明菜の声ばかり追いかけて聴いてもいられないというスゴい曲。

09. 桜(びやく)
冒頭のソロは最初はバイオリンにミュートをつけてるのかと思ったけど、どうも音色が違うのでジャケット(歌詞カード?)を確かめてみたら胡弓(たぶん二胡ですね)だった。胡弓の入った曲を聴くのは「ラストエンペラー」のサントラ以来じゃないだろうか。最近のポップスではけっこう普通に使われるのか?胡弓のせいかどうかわからないが、この曲は本アルバム中ではちょっと異色な感じがするが、落ち着いた感じの佳曲でこれも大好きな曲。「桜ふぶき」と歌うときの「ぶ」の発音がなぜか印象的でもう一度聴きたくなってしまう。

10. 風を抱き締めて
初めは、この曲とボーナストラックの最後の曲「SWEET SUSPICION」はどうもこのアルバムの雰囲気に合ってないような気がしていつもすっ飛ばしていたけれども、こうして改めて聴いてみると、それほど悪い曲でもない気がしてきた。あとタイトルは「風を抱きしめて」の方が良い気がする(「締める」ってちょっとキツい感じが・・・)。

11. 月は青く
1曲目の満月と同じように、レコードのノイズが入っている。つまり、これが最終曲ってこと。あとボーナストラックがあるけど、最初にリリースされたときはここで本当に終わっていたはずだ。こうしてみると、最初の3曲がしっとり系、4曲目をブリッジとして5曲目から8曲目がアップテンポでパワフルな曲、9曲目から11曲目で熱を落とす、という構成でなかなか考えられた曲順になってる気がする。そんなことにお構いなくランダム再生でわざわざ曲順をメチャクチャにして聴いていたが、、、(曲順を固定して聴くと早く飽きが来るような気がするので・・・)。タイトルは「月は蒼く」よりも「月は青く」を選んだんだろうか?

ボーナストラックは省略。最後に現時点での好きな曲順を書く。まぁ好きな曲は毎日変わるんだけど、とりあえず今はこの順。

1. APPETITE
2. 夜の匂い
3. 夢見るように眠りたい
4. 桜(びやく)
5. 満月
6. 赤い薔薇が揺れた
7. Spicy Heart
8. MOONLIGHT SHADOW
9. おいしい水
10. 月は青く
11. 風を抱き締めて
12. SWEET SUSPICION

2008年5月18日日曜日

幸福时光

《幸福时光》(邦題:至福のとき )は中国語を勉強し始めてから最初に観た中国映画の中の1つだ。中国語のリスニングの勉強用にDVDを物色していたときに監督が张艺谋ということでピックアップしたのだけれど、別に张艺谋がことさら好きだったというわけではなく、単に当時名前を知ってる唯一の中国人映画監督というただそれだけの理由で買ったのだった。

张艺谋について言えば、それ以前にも《红高粱》とかいくつか映画を観ていたし、その後に観た《活着》や《有话好好说》、《一个都不能少》とかも結構面白かった。ただ、この《幸福时光》ほど何度もくり返し観た映画はない。というか、そもそも何度もくり返し観た映画なんて张艺谋に限らずほとんどない。そういう意味で、これは単に好きというだけでなく、僕にとってはちょっと特別な映画だ。

《幸福时光》で一番印象的なシーンは、全編のちょうど真ん中あたり、主人公の盲人の少女"吴颖"(董洁)とニセ社長の"老赵"(赵本山)が街中で道の片端に座ってアイスを食べるところ。カネのない老赵は初めハーゲンダッツ風の店でアイスクリームを買おうとするがあまりの高価さに手が出ず、結局屋台で安いアイスキャンデーを買って吴颖に渡す。自分の分はない。2人はそのまま歩道の段のところに腰掛けて、吴颖だけがアイスを食べ始める。前や後ろでは、会社や学校帰りの人が行き交っている。目の見えない吴颖は老赵に訊く・・・ 「人はいっぱいいるの?」「いっぱいいるよ」「みんな何してるの」「勤め帰りだな。子供連れで買い物している人も」・・・母親と死別し、実の父親と養母にも半ば見捨てられた吴颖は、ここで初めて硬いガードを崩して打ち解けていく、、、

このシーンは映像の美しさもさることながら、三宝(という名前の作曲家です)の音楽がこれまたひどく繊細で美しい。この映画を何度もくり返し観たのは、今から思えば半分はこのシーンを観たいがためだったような気がする。

三宝の音楽があまりに気に入ったので、その後中国に行ったときに三宝の映画音楽を集めたCDも買って来た。《三宝影视歌曲 直接影响》というのがそれで、IとIIがあり、それぞれ2枚組みで合計4枚。《幸福时光》はIの方に2曲収められている(上のシーンとラストのシーンの曲)。

ちなみにこのCDのジャケットには、三宝が音楽を担当した映画のシーンがいくつか使用されていて、《幸福时光》の上記のシーンもそのうちの1つである。意味もわからないくせに私と一緒によく《幸福时光》を観ていた4歳の息子はこの写真を一目見て曰く、「アイスクリームが違う!」 後日、映画をもう一度観てみると、確かにCDの写真と映画では食べているアイスクリームの種類が違っていた。映画はいわゆるアイスキャンデーだが、CDの方はサーティワンみたいなコーン付きのアイスクリームになっている。子供の記憶力はスゴい。


2008年5月11日日曜日

スペンサーの料理

この本は就職して2年目くらいのときに料理本として買った。なかなか楽しい本で、3部構成の第1部はスペンサーシリーズに出てくる料理の解説(というか薀蓄)と作り方、第2部はお酒の薀蓄、第3部はボストンのレストランガイドになっている。ボストンに行ったことないし、お酒も飲めないので、もっぱら第1部だけ活用しているだけだが、単なる読み物としても面白いので損はない。

この本を買ったのはちょうどワインブームの頃だった。僕も会社が終わると毎日のようにそのままの足で三越に行き、ワインのハーフボトルを買って帰ったものだ。それからその頃はまだ結婚してなかった今の妻と夕食を作り、ワインを飲みながら食事をした。ワインは、最初はハーフボトルで売っているブルゴーニュを片っ端から買っていき、それが尽きるとイタリアワインをこれまた1銘柄ずつ買っていった。と言ってもぼくはロクに飲めないのでなんとか1杯だけ、残りはみんな妻が飲んだ。

料理はパスタとかイタリア(風)料理が多かったが、毎日とっかえひっかえいろんな銘柄のワインを飲んでるわけだから、料理の方もそれなりにある程度バリエーションが欲しくなる。そういうわけで、書店で見つけたちょっと毛色の変わったこの本を買ってみたわけだけど、今から考えるとけっこうヒマなことやってたんだなと思う。何ヶ月かするとワインの方は飽きてしまい、アルコールなしの食事に戻ったけれども、そのときに覚えたいくつかの料理はそのままレパートリーとして定着した。

この本に載っている料理の中で、うちで作って好評だったのは「ピスタチオとバジリコ・ソースあえのスパゲティ」と「チーズとオリーブのギリシャ風サラダ」だ。簡単に作れるわりに、意外にもプロっぽい香りと味になるので、お客さんが来たときにもいいと思う。
 

2008年5月4日日曜日

東京ステーションホテル

いつのまにか東京ステーションホテルが休業していたらしい。東京駅丸の内駅舎の改装のためとのこと。休業してから2年も経ってやっと気づいた。

10年以上前、まだ結婚するかしないかのころ、今の妻とよく旅行に行ってよく老舗ホテルに泊まった。日光の金谷ホテルとか、山中湖ホテルとか、それから山の上ホテルにも行った。横浜のバンドホテルなんかは何回も泊まったな。

山中湖ホテルでは、就職したばっかりでお金もないくせにディナーでワインを頼んでちょっと緊張した。ソムリエに注いでもらってテイスティングしたって味なんかわからないし、そもそもそれ以前に酒が飲めない。それでもワインを頼んだのは、妻が飲めるのと、あと立派なレストランなのでワインくらい注文しないといけないのかなと思ったからだ。でもそれからほどなくして山中湖ホテルはなくなってしまった。

山の上ホテルでは、チェックインして部屋に通されるとすぐにメイドさんがお茶を持ってきてくれるのだが、そうとは知らずに着替えをしていて、ズボンを膝まで半分降ろした状態でメイドさんと対面してしまった。メイドさんは部屋に入るときにちゃんとノックしてくれたのだが、妻が何も考えずに中へ通してしまったのでそんなことになってしまったのだ。あれは今思い出しても恥ずかしい。

上の写真は7年前に東京ステーションホテルに泊まったときに撮ったもの。そのときの日記にはこう書いている。

2001/08/31 (金)
出張で「東京ステーションホテル」に2泊して帰ってきた。「日光金谷ホテル」みたいに由緒正しい古いホテルで、客室 (とくに浴室)の使い勝手などは今時のシティホテルに劣るけれども、規格化された現代のホテルにはない面白みがある。一言で印象を言えば、古い映画に入り込んでしまったような気分だ。拙者が泊まった部屋は東京駅の丸の内南口のドームをぐるりと取り囲むように位置している部屋のひとつで、窓から外を見るとドームの内側が見渡せるようになっていた。勤め帰りのビジネスマンやOLが改札口に次々吸い込まれていくのを眺めるのはなかなか愉しかった。

人に見せるつもりのない日記なので偉そうに「面白みがある」なんて書いてるし、なぜか1人称が「拙者」になっている。変な文章で我ながらイヤになるが、面倒なのでそのまま上げてしまった。ホテルは営業再開後も昔の雰囲気が残っているとうれしいけど、どうなるんだろうか。

2008年5月3日土曜日

落花流水

落花流水という言葉にはいくつかの意味があるようだ。goo辞書で調べてみると、まったく異なる解釈が2つ載っている。思いっきり省略して抜粋すると以下のとおり(全文はこちら)。

(1) 過ぎ行く春の景色。転じて、物事の衰えゆくことのたとえ。
(2) 相思相愛。

素直に考えれば、花が散って川の水に流されて行く、と考えるのが普通だろうから、(1)の意味は直感的に納得できる。(2)の意味はなぜなのか見当もつかなかったが、goo辞書では「散る花は流水に乗って流れ去りたいと思い、流れ去る水は落花を乗せて流れたいと思う心情を、それぞれ男と女に移し変えて生まれた語」と説明されている。

と、ここまでは日本語の話。気になった中国語でも調べてみると、驚くことに意味が全然ちがう。以下は中日大辞典で調べたものの抜粋。

(一) 晩春の景色
(二) さんざんに(打ちのめされる)
(三) 金魚の一種

(一)は日本語の(1)とほぼ同じなので良いとしても、(二) はこれまたどうしてこんな意味で使われるのか皆目見当がつかなかったので私の漢語老師に聞いてみたところ、次のような使い方をするらしい。

 日军被游击队打得落花流水・・・(訳)日本軍はゲリラ部隊によって蹴散らされた。

つまり、ボロボロになって水に落ち、ダーァッと水に流されてハイおしまい、って感じみたいだ。言われてみればなるほどという気がする。(三)はたぶん、落花流水という種類の金魚がいるんでしょう。このほかにも、昔は落花流水図案という絵柄があって、杯に描かれたりしたらしいけど、ここらへんはあまり知識がない。

ちなみに、私の漢語老師は落花流水と聞いて、それは落花有意,流水无情(落花有意、流水無情)から来たんじゃないかと言っていた。中国語辞書を引いてみると、これまた違う意味が載っている。小学館の中日辞典だとこうなっている。

 落花有意,流水无情・・・落花が思いを寄せても、流れはつれない。片思い。

日本語の落花流水は相思相愛だったのに、こっちは寂しいことに片思いになってしまっている。

2008年5月2日金曜日

篆書体

篆書体のフォントを無料で提供しているサイトを見つけたので、早速ダウンロードして試してみた。72ポイントのボールドだとこんな感じになる。なかなかいい感じ(念のため言っておくと、「落花流水」と書いています)。



このフォントは白舟書体という会社のもので、本来は有料だが、教育漢字1006文字とひらがな及びカタカナだけを収めた教育漢字版は無償でダウンロードして使うことができる。

2008年5月1日木曜日

主夫と生活

かの伊丹十三が翻訳した『主夫と生活』は愉しい本だ。ハーバード大学卒業の成功したコラムニストである著者が、40歳にして突然引退し、家庭の主夫として過ごした1年間の日々を、軽妙な筆致で、というかあちこちで爆笑してしまうほど楽しげに書いたものである。大の男が慣れない家事でヘマをこき、抜け目のない子供らに振り回され、親や友人から奇異な目で見られ、クーポン券を集めたりして性格がしみったれていき、という具合で話が進んでいく。70年代のアメリカということもあってか、結婚とかジェンダーとかの問題にも興を殺がない程度でさりげなく触れられている。

この本を初めて読んだのは高校生くらいのときだと思うが、もともと現世逃避的な性格なので一読してすっかり気に入ってしまい、将来は「主夫」になると決めてしまった。

以来、20年以上経ったが、結婚して子供も出来たものの、経済的な問題のためなかなか主夫にはなれない。それどころか、昼は会社で仕事、朝晩は家事をする「兼業主夫」という最悪の展開になっている。現実は生易しいものではない。

「主夫」という言葉は今ではすっかり認知されているようで、wikipediaにも主夫の項目があるし(Googleで"主夫"で検索すると真っ先に表示される)、主夫ブログみたいなのもけっこうあるようだ。ただ、もともとは伊丹十三がこの本を翻訳したときに冗談半分で作った造語だと思う(僕の持っている本では、表紙のタイトルの"夫"の字だけ青で強調されている)。僕の記憶では、それ以前にこのような言葉は無かった。ちなみに本書の英語の原題は "My Life as a Househusband" となっているので、househusbandが原語でそれを「主夫」と訳したようだ。

とっくに絶版になっているみたいだけど、古本が安く手に入る。ちなみに伊丹十三のお父さんの伊丹万作も本業は映画監督ながら筆が立つ人で、この人のエッセイはちょっと日本の作家にしては珍しく理系的な鋭さが感じられる秀逸なものだ。エッセイ集(伊丹万作エッセイ集 )と全集(全3巻)がある。残念ながら全集は簡単には手に入らないみたいだが、図書館にあればタダで読める。

2008年4月30日水曜日

Moon River

この曲を知ったのはつい5年くらい前のこと。いや、これだけ有名な曲だからそれ以前も聞き知ってはいたが、さして興味もなかったのでおぼろげで不定形な記憶がどこかの片隅に眠っているだけだった。それがたまたま『ティファニーで朝食を 』を観てオードリー・ヘプバーンの歌うムーンリバーが気に入り、そういやそういう曲もあったなと思い出したのだ。

CDを買おうとしたのだが、オードリー・ヘプバーンは歌手ではないからCDは映画のテーマソングを寄せ集めたようなものばかりでちゃんとしたものがない。だからサラ・ブライトマンのを買った。『La Luna』がそれで、一見するとムーンリバーは入っていないように見えるが、じつはちゃんと最後の曲の末尾に隠しトラックとして入っている。

で、しばらくサラ・ブライトマンを聴いていて、それはそれで満足していたのだけれど、そのうちに何か物足りない気がしてきて今度はアンディ・ウィリアムズのを買ってきた。だけどこっちはただのムード音楽にしか聴こえなくて受けつけなかった。

それで次にインターネットを探し回ったら、オードリーが歌ったムーンリバーのMP3が見つかった。ダウンロードして聴いてみると、今度はぴったりだった。映画から音源を取ったらしく、タイプライターを打つ音とかの背景音が入っていたりして、音自体は良くない。オードリー・ヘプバーン自身、歌手は本業どころか副業ですらないだろう。それでも、クリアな音源でプロ中のプロのサラ・ブライトマンが歌ったものよりもしっくりくるのだから不思議なものだ。

トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』はちょっと独特な雰囲気のある小説で、主人公のホリー・ゴライトリーは快活で奔放ながらも、どこかしら不安定で非現実的な感じのする女性だ。オードリーが歌うムーンリバーは、はっきり形を取っては現れないけれども、物語の基底にあるそうした微かな不安ともせつなさともつかぬ感情をすくい取って表現している。

インターネットからダウンロードしてきた、いささか怪しげなオードリーのMP3は今も持っていて、折に触れて聴く。聴くたびにいつも、胸がしめつけられるような気分になる。

2008年4月29日火曜日

ことはじめ

今日からここで書き始める。ブログの名前は「落花流水」に決めた。まず環境設定、それからロゴ画像に花の写真をアップロード、最後にスキンを選んで初期設定は完了。

CoolArchiveというところにlogo generatorというのがあったのでこんなロゴも作ってみたけど使うところがない。もったいなので、意味もなくここに貼っておく。



 今日は環境設定だけ。更新は明日から。