『有吉佐和子の中国レポート』は文化大革命収束直後、1978年の中国滞在記である。北京、大連、広州、蘇州、上海を訪れて著名な作家や政治家に面会する一方、農村にまで足を運び、農民の暮らしぶりの一端を伝えている(農村の人民公社で三同生活(*1)をするのが訪中の目的だった)。
もちろん中国政府によって周到に用意されたルートをたどり、お付きの通訳もぴったり寄り添っているわけだが、そんな中でも押しが強く、直情径行の著者はなんとか無理を通し、本来行けないところに行き、会えないはずの人に会っているのがすごいところだ。文化大革命の期間、中国はほぼ鎖国状態だったため日本人の手によるこの時期の記録は少ないが、その中でこの本は数少ない例外だろう。
本書を読むと、5度目の中国訪問で著者が会う旧友の作家や政治家たちのほとんどが最近「出てきた」人たちばかりであることに驚かされる。ただそれは知識としてある程度知っているからまだ理解できる。それよりも当時の中国の生活水準の低さは想像以上で、むしろこっちのほうがびっくりする。
「都会人の月給が平均して五十元(日本円の七千円前後)。それで充分生活していけるのだから話にならない。」
78年当時でこのくらいである。日本では翌年に初代ウォークマンが定価3万3千円で発売され、中高生でもけっこう持っているのがいたが(ぼくも中学2年のときウォークマンIIを買った)、中国では平均月給の数ヶ月分に相当する。この頃の中国では、腕時計、自転車、ミシンが三種の神器(中国語では三大件と言う)だったらしいが、日本では腕時計なんか小学生でも持っていた。
このほかにも西舗という農村に行ったときに、著者は次のような会話をしている。
「お茶を飲む習慣は、西舗には昔からありましたか」
「自由に飲めるようになったのは七十年代からですよ。私は飲みません。お客があるときに出すだけです。昔は地主だけの飲み物でした」
とはいえ、次の文章を読むと、それでも戦後の中国は戦前に比べればはるかにマシということがわかる。
五十年前には、私は生まれていなかったけれど、私の家族は数年上海に暮らしていた。1961年に、私が初めて中国に出かけることになったとき、私の母が私にこういう注意をしたのを思い出す。
「佐和子ねえ、あなたは気持ち悪がりだから、上海の朝は勢よく窓を開けないようにしなさいね。窓の隙間から外をそっと見て、道が綺麗になっているのを見定めてから開けなさいよ」
私は、なんのことかよく分からなかった。旅行から帰って、朝早く窓を開けても別にどうということもなかったけど、あれはどういう意味かと訊くと、母はじっと考えていて、
「そう、何もなかったの? やっぱり革命をしたのね、あの国は」
と感嘆している。
「気味悪いって、何のことなの?」
「昔はねえ、行倒れが多くてねえ、道でごろごろ死んでいたのよ。乞食が多かったし、そうのは大概病人だっただから」
「そんな行倒れだなんて、今の中国にはありませんよ」
「五十年前のことですものねえ。貧しい人たちが多かったのよ。やっぱり革命があったんだわねえ。私には想像もできないけど」
この話をすると、北京に住んでいたという人たちも身をのり出してくる。
「そうですよ、北京だって、朝は片付くまで外に出られなかったものです。冬は凍死体があちらにもこちらにもごろごろしていましたからね。苦力などという連中は、喰うや喰わずの暮らしでしたから、日本の貧乏人とは較べものにもならないですよ」
旅大市(*2)近郊の人民公社、営城子人民公社の后牧生産大隊を訪問したときは、次のような説明を受けている。
「・・・この地方も解放前はひどいところだったのです。耕地面積は今と同じですが、旱魃にあうとバタバタと人が死にました。解放前の戸数は280戸。360人が小作人として地主に搾取されて貧しい暮らしをしていました。乞食が200人もいたのです。冬になると、そういう人たちが凍死していました。解放前3年分の統計があります」
このくだりはさらに次のように続く。
戦前の中国を知っている人たちに、
「とにかく乞食がいませんよ」
と言うと、
「えッ、本当ですか。蠅がいなくなったってよく聞くけど、乞食がいなくなったなんて、ちょっと信じられないですねえ」
と首を捻る日本人が多い。私は解放後の中国しか知らないものだから、こういう人と出会うと、その人の見た中国について一生懸命聞くことにしている。
「今はもう私たちでさえ、昔のことが信じられません」
と中国の人たちも、よく言う。
こうしてみると、とにかく食べていくというだけでも大変だったというのがわかる。いわゆる一人っ子政策も、とにかく人民全員に食わせるということが、普通の日本人が考える以上に、というか想像もできないほど切実な目標だったのだろう。
本書はもちろんこうしたことばかり書いているわけではなく、いくつもの人民公社の訪問記や、思想改造のために監督労働している元富農へのインタビュー、農薬について講演することになった話、図らずも郭沫若死亡をスクープしてしまったエピソードなど、ただの旅行記にはとどまらない魅力がある。とうに絶版になっているみたいだが、アマゾンなら古本が安く買えるし、図書館にもたぶんあると思うので、興味がある人は読んでみると良いだろう。
*1 三同生活
農民と寝食と労働を共にする生活。同吃、同住、同劳动(同じものを食べ、同じ屋根の下に眠り、同じ仕事をする)。
*2 旅大市
当時は旅順と大連が合併して旅大市になっていた。ぼくが小学生の頃、社会科の地図帳では「旅大(大連)」のように書かれていた。