2012年3月31日土曜日

「生き方」の値段

 世の中のありとあらゆるものに値札がついている。町で売っている服や食べ物はもちろん、結婚、健康、信仰、人の命まで、ありとあらゆるものに値段がある。それに対して意識的あるいは無意識に人々が行動を選択し、それが総体となって社会を形作っていく。アメリカの不法移民であれ、中国の男女の数の不均衡であれ、ユダヤ教の割礼であれ、驚くほど多くの社会現象が損得勘定で説明できてしまう。

たとえば、先進国ではゴミはゴミでしかない。ゴミには価値がないどころか、ときにはお金を払ってでも処分する。だが、貧困国ではゴミは資源になる。ゴミの山に埋もれているペットボトルを拾えばわずかばかりのカネになる。ニューヨークのホワイトカラーでも同じようにペットボトルを拾ってスーパーマーケットに持っていけば5セント稼げるが、そんなことをする人はない。一方、インドに行けば、ゴミ拾いする少女などいくらでもいる。違いはニューヨーカーは物質的に恵まれた生活をしているのに対し、インドの少女は今日食べるものにも困っているという点だ。境遇の違いが、行動の違いを生み出している。そういうわけで、貧困国にはゴミ拾いをする子供がたくさんいるのだ。

もっともあらゆる社会現象や文化、風習がすべて費用と便益で決まっているわけではない。逆に、文化的慣習が影響を及ぼして価格を歪めることもある。フランスでは馬肉は1キロ30ユーロで買えるが、アメリカでは馬肉を売ること自体法律で禁止されている。

それにしても、費用と便益の関係が社会のすみずみにまでいかに影響を及ぼしているかに驚かされる。これまで文化や風習、常識、道徳だと思っていたものが、じつはその成り立ちが損得勘定でかなりの部分が説明できてしまう。昔、中島らもが鬱病の症状を薬で緩和できることついて、文学とか芸術を生み出してきた人間の精神がこんなもんでコントロールできちゃっていいのかみたいなことを言っていたが、この本を読むと社会や文化がカネにこんなに影響されちゃうものなのかと思う。経済学者を齧った人にとっては当たり前の話なのかもしれないが、経済学ド素人にとってはすごくおもしろい本。

2012年3月20日火曜日

有吉佐和子の中国レポート


『有吉佐和子の中国レポート』は文化大革命収束直後、1978年の中国滞在記である。北京、大連、広州、蘇州、上海を訪れて著名な作家や政治家に面会する一方、農村にまで足を運び、農民の暮らしぶりの一端を伝えている(農村の人民公社で三同生活(*1)をするのが訪中の目的だった)。

もちろん中国政府によって周到に用意されたルートをたどり、お付きの通訳もぴったり寄り添っているわけだが、そんな中でも押しが強く、直情径行の著者はなんとか無理を通し、本来行けないところに行き、会えないはずの人に会っているのがすごいところだ。文化大革命の期間、中国はほぼ鎖国状態だったため日本人の手によるこの時期の記録は少ないが、その中でこの本は数少ない例外だろう。

本書を読むと、5度目の中国訪問で著者が会う旧友の作家や政治家たちのほとんどが最近「出てきた」人たちばかりであることに驚かされる。ただそれは知識としてある程度知っているからまだ理解できる。それよりも当時の中国の生活水準の低さは想像以上で、むしろこっちのほうがびっくりする。

「都会人の月給が平均して五十元(日本円の七千円前後)。それで充分生活していけるのだから話にならない。」

78年当時でこのくらいである。日本では翌年に初代ウォークマンが定価3万3千円で発売され、中高生でもけっこう持っているのがいたが(ぼくも中学2年のときウォークマンIIを買った)、中国では平均月給の数ヶ月分に相当する。この頃の中国では、腕時計、自転車、ミシンが三種の神器(中国語では三大件と言う)だったらしいが、日本では腕時計なんか小学生でも持っていた。

このほかにも西舗という農村に行ったときに、著者は次のような会話をしている。

「お茶を飲む習慣は、西舗には昔からありましたか」
「自由に飲めるようになったのは七十年代からですよ。私は飲みません。お客があるときに出すだけです。昔は地主だけの飲み物でした」

とはいえ、次の文章を読むと、それでも戦後の中国は戦前に比べればはるかにマシということがわかる。

 五十年前には、私は生まれていなかったけれど、私の家族は数年上海に暮らしていた。1961年に、私が初めて中国に出かけることになったとき、私の母が私にこういう注意をしたのを思い出す。
「佐和子ねえ、あなたは気持ち悪がりだから、上海の朝は勢よく窓を開けないようにしなさいね。窓の隙間から外をそっと見て、道が綺麗になっているのを見定めてから開けなさいよ」
 私は、なんのことかよく分からなかった。旅行から帰って、朝早く窓を開けても別にどうということもなかったけど、あれはどういう意味かと訊くと、母はじっと考えていて、
「そう、何もなかったの? やっぱり革命をしたのね、あの国は」
と感嘆している。
「気味悪いって、何のことなの?」
「昔はねえ、行倒れが多くてねえ、道でごろごろ死んでいたのよ。乞食が多かったし、そうのは大概病人だっただから」
「そんな行倒れだなんて、今の中国にはありませんよ」
「五十年前のことですものねえ。貧しい人たちが多かったのよ。やっぱり革命があったんだわねえ。私には想像もできないけど」
 この話をすると、北京に住んでいたという人たちも身をのり出してくる。
「そうですよ、北京だって、朝は片付くまで外に出られなかったものです。冬は凍死体があちらにもこちらにもごろごろしていましたからね。苦力などという連中は、喰うや喰わずの暮らしでしたから、日本の貧乏人とは較べものにもならないですよ」

旅大市(*2)近郊の人民公社、営城子人民公社の后牧生産大隊を訪問したときは、次のような説明を受けている。

「・・・この地方も解放前はひどいところだったのです。耕地面積は今と同じですが、旱魃にあうとバタバタと人が死にました。解放前の戸数は280戸。360人が小作人として地主に搾取されて貧しい暮らしをしていました。乞食が200人もいたのです。冬になると、そういう人たちが凍死していました。解放前3年分の統計があります」

このくだりはさらに次のように続く。

 戦前の中国を知っている人たちに、
「とにかく乞食がいませんよ」
と言うと、
「えッ、本当ですか。蠅がいなくなったってよく聞くけど、乞食がいなくなったなんて、ちょっと信じられないですねえ」
と首を捻る日本人が多い。私は解放後の中国しか知らないものだから、こういう人と出会うと、その人の見た中国について一生懸命聞くことにしている。
「今はもう私たちでさえ、昔のことが信じられません」
と中国の人たちも、よく言う。

こうしてみると、とにかく食べていくというだけでも大変だったというのがわかる。いわゆる一人っ子政策も、とにかく人民全員に食わせるということが、普通の日本人が考える以上に、というか想像もできないほど切実な目標だったのだろう。

本書はもちろんこうしたことばかり書いているわけではなく、いくつもの人民公社の訪問記や、思想改造のために監督労働している元富農へのインタビュー、農薬について講演することになった話、図らずも郭沫若死亡をスクープしてしまったエピソードなど、ただの旅行記にはとどまらない魅力がある。とうに絶版になっているみたいだが、アマゾンなら古本が安く買えるし、図書館にもたぶんあると思うので、興味がある人は読んでみると良いだろう。

*1 三同生活
 農民と寝食と労働を共にする生活。同吃、同住、同劳动(同じものを食べ、同じ屋根の下に眠り、同じ仕事をする)。

*2 旅大市
 当時は旅順と大連が合併して旅大市になっていた。ぼくが小学生の頃、社会科の地図帳では「旅大(大連)」のように書かれていた。

2012年3月18日日曜日

日経平均は死んだ




日本経済は落ち目でもうダメだと思っていたのだが、この本を読んでそうでもないかもしれないと思うようになった。

過去20年間、日経平均はまったく振るわなかったが(4万円弱くらいから1万円前後まで約4分の1に落ちた)、著者によると、その一方で成長企業もたくさんあると言う。たとえば、2000年以降に株価が5倍になった株は783銘柄、10倍になった株は278銘柄もあるらしい。

2001年9月末の日経平均は9775円、10年後の2011年9月末は8700円で、約1000円下がっている。ところが全上場企業のうち株価が上がった企業の割合を見てみると57%もある。どういうことかというと、2001年時点で時価総額3000億円以上の大型株のうち上がったのが44%しかないが3000億円未満の中小株は58%が上昇しており、要するに日経平均を構成するような大企業が振るわず、そうでない企業が価値を上げているということらしい。

上場企業の多くは長引く景気低迷のもとで身を削るようにして製品やサービスのクオリティを上げ、強い企業体質になっている一方、旧態依然たる古い体質の大企業も残っている。日経平均やTOPIXに連動した投信やETFを買うということは、成長する新興企業を顧みず劣化した大企業に投資することと同じであり、パフォーマンスが期待できないだけでなく、そもそも社会的にも損失だということだ。

言われてみればそのとおりで、古い大企業がダメというのは日々感じていたのだが、それを日経平均と結びつけて考えたことはなかった。今や劣化した大企業の指数と化したインデックスファンドを買うのは確かに考えものかもしれない。

しかしこの本にも書いてあるが、最近つくづく感じるのは、ここ20年で経済は見かけ上は低迷していたが、生活は本当に便利で安くなったということ。昔はスーパーの安物まるだしの服でも2、3千円したし、マズい食い物屋とかも普通にあったが、最近はそういう店が本当になくなった。値段が安くても品質はしっかりしているし、100円ショップなんかでも何が買えないのかわからないほど何でもある。時給800円で1日(8時間)バイトすれば、帰り道にDVD再生機を5000円で買い、残りのお金でポップコーンとスタバのコーヒーを買い、レンタルビデオを借りて家でゆっくり映画が見れる。給料が増えないし、物価もゆっくり下がってきたので見過ごされているが、実際には本当にゆたかになっているのだ。日本もまだ捨てたものでないのかもしれない(少なくとも一部は)。

2012年3月11日日曜日

震災1年

新聞を開いてみると、案の定お約束どおりの震災記事ばかり。立場上やらざるを得ないのだろうが、見なくても中身がわかってるニュースって何の意味があるんだろう。

このところ仙台の街中はどこも大繁盛だ。週末の昼どきに食事に出かけると、レストランはどこも行列だらけ。聞くところによると、駅近くの店は軒並み過去最高の売り上げらしい。復興バブルでホテルは出張客で満員、国分町の飲み屋も人であふれ返り、高級外車やイタリア製の高級鞄が売れているとウォールストリートジャーナルにまで書かれている (記事はこちら)。復興という名目がつけば国の予算がつくので、あちこちで便乗プロジェクトが立ち上がっているような話も聞く。

うちもそうだが、仙台市内でも大した被害を受けなかったところも多い。今回一番の被害をもたらしたのは津波だが、当たり前のことだが津波が来ないところには津波の被害はない。もちろん港が使えなくなって物流が止まるとか、間接的な被害はあるが、直接的には何もない。津波以外では、局所的に地盤が弱いところで家が傾いたり損壊したところがあったが、そうでもなければ家財道具が壊れた程度の被害しかなかったところが大半だろう。復興支援も結構だが、本当に支援が必要な人や事業だけを支援すればいい。下手にバラマキをやると結局政治力の強いところにカネが流れ、逆に必要なところにお金が行かなくなる。

報道によると、土木や建設は人手不足なのになかなか人が集まらず、一方で失業率は高止まりしているらしい。わざわざ大変な仕事をするより手厚い失業保険で暮らしているほうがいいという。それに求人のある仕事の多くは一過性のもので、復興景気が終わればその先はなく、昇進とかスキルアップとは無縁だ。となれば、あせってそんな仕事に就くよりも、先の見通しのある仕事をじっくり探すほういいとなるのも無理はない。しかし地元周辺の失業者さえ呼び込めない復興って何なんだろう。

これは人口流出や過疎化に悩む地方都市なども同じで、いろんなイベントや宣伝をしたり、ハード面を整備したりするのも結構だが、そもそも自分たちの子供が東京などの大都市でサラリーマンしていて戻ってくる気がないから寂れているのだ。自分の身内でさえ逃げ出していくようなところに、よそから人を呼び込むなんてどだい無理な話だろう。よほど方向性が見えているのならともかく、そんなところに自治体がカネを出してもうまくいくとは到底思えない。

上の写真は去年の3月11日、地震後に2時間ほど歩いて家に帰ってきた直後に撮った写真。本棚が崩れて廊下が通れなくなっている。家の中はこんな感じでぐちゃぐちゃだったし、電気・ガス・水道すべて止まり、地下鉄も不通、ガソリン不足で車も使えず、1週間ほどは食べ物を確保するのも大変な状況だった。それでも電気は数日で復旧し、その他も数週間〜3ヶ月くらいでほぼすべて使えるようになり、家も片付けてみれば被害は壊れた家財道具と家電品程度。会社は休日扱いで休めたので、給料も変わらなかった。仕事は遅れたが、「震災で」と言うとそれならしょうがない、ということで問題なし。逆に電気もガスもなく、どこにも行けずに家族全員朝から晩まで顔をつき合わせて暮らした数日間が、今となってはすごく貴重な時間に思える。よほどのことがない限り2度とそんな機会はないだろう。

2012年3月4日日曜日

オットー・ビュヒナーのブランデンブルグ協奏曲


 学生の頃、仙台の一番町に「ウィーン」というクラシック喫茶があってよく通ったものだ。お目当てはLD (レーザーディスク) かVHDで上映される音楽映像だった。今でこそDVDの音楽ソフトが1,000円くらいから買えるようになり、DVD再生ソフトもわずか数千円、YouTubeだったらタダで動画が見られるようになったが、当時はそんな安くて便利なものはなかった。懐の寂しい学生にとっては、「ウィーン」のようなクラシック喫茶で見られる音楽映像はすごくありがたいものだった。ただバレエ「ジゼル」とか、僕にはあまり興味がない演目も多く、そんなときはあきらめて店を出るか、ブレンドコーヒーを飲みながら本でも読んで時間をつぶしたものだった。

その当時、一番気に入ってた演目の1つがカール・リヒター指揮、ミュンヘン・バッハ管弦楽団のブランデンブルグ協奏曲だった。曲もさることながら、ヴァイオリンのオットー・ビュヒナーのなめらかで端正なボーイングは何度見ても飽きなかったものだ。まるで機会仕掛けの人形のようで、正確で几帳面なドイツ人の権化のようだった。このリヒターの、というか僕にとってはビュヒナーのブランデンブルグ協奏曲はVHDしかなく、ほどなくして「ウィーン」もなくなってしまったため、見ようにも見られなくなってしまった。そのうち仕事も忙しくなってしばらく忘れていたのだが、先日偶然DVDでも発売されているのを発見してうれしくなってしまった。