2008年7月27日日曜日

超絶技巧珈琲

Youtubeで遊んでたら、こんなのを見つけた。

出神入化超級沖咖啡技術(超絶技巧珈琲サーブ術)

最近ときどき雑誌で見かけていたので、流行っているらしいとは知っていたけど、実際に飲んだことはなかった。まさかYoutubeで作り方が見られるとは思わなかった。しかも上のビデオクリップ以外にも、たくさんアップロードされている。

こういうのをデザインカプチーノと言うらしい。goo辞書にもすでに採録されている。他にラテアートという言い方もあって、こっちもgoo辞書に載っている。Googleで検索するとヒット件数はほぼ同じで、強いて言えばラテアートがちょっと多いくらい。ただデザインカプチーノの方は和製英語っぽいので、英語で"design cappuccino"と言っても通じそうもない。"Latte Art"だったらWikipediaにもエントリがあるので大丈夫そうだ。

Latte Art - Wikipedia

このほかにも、コーヒーアートって言うこともあるらしい。これも英語で"coffee art"と言ってもOKみたいだ。ただコーヒーアートだと、コーヒーに関する各種の技術や技巧、みたいに広い意味に取られかねないので、やっぱりラテアートと言うのが一番無難かつ通用度も高そうだ。

中国人はあまりコーヒーを飲まないけれども、中国でもラテアートは意外にも流行っているらしく、検索すると結構な件数がヒットする。上の動画もそうだが、Youtubeにも中国語でたくさんアップロードされてるし、作り方の書籍なんかも出版されている。

中国語ではラテアートは花式咖啡と言う。「花」は「花样」、つまり模様とか図案の意味。このほかに、咖啡拉花という言い方もある。「拉花」は辞書で引くと「花飾り」となってるけど、たぶんここでは模様を描くっていう意味なんじゃないかな(と思う)。あと拿铁拉花という言葉もあるようだ。「拿铁」は(カフェ)ラテの意味。Googleや百度のヒット件数でみる限り、花式咖啡が一番ポピュラーな言い方みたいだ。

* 2016/2/13 リンク切れを修正

2008年7月20日日曜日

中国 IT開発エンジニアの悲哀④

の続き)

第6の道:起業する
ははは、このタイトルを見て瞳孔が広がりましたね。あなたはきっと会社設立を幾度となく考えたことがあるはずです。ははは、私も開発に従事していたころ、毎日起業することを夢見ていました。2、3年したら機会を見つけて自分で起業する、といつも夢想していましたが、そうした夢は人を苦しめると同時に、また希望をもたらすものでもあります。ちょっと見てみましょう。開発から起業した人は結構多いものです。その中には、成功した人もいれば失敗した人もいます。起業するときはふつうは何人かの仲間で始めるものです。技術担当や営業担当などが意気投合し、またグルになって、そうした一大プロジェクトを共同で画策するのです。一般的に、こうした人たちに最初の一歩を踏み出す決断をさせるような場合、製品は間違いなく先進的であり、ときには国内唯一であることもあります。マーケットも大きく、営業マンはたいてい胸を叩いて必ず売れると請け合い、それからこっそりと、どこそこのエラい人が妻の弟の同級生の叔父さんだから絶対大丈夫、と耳打ちします。そこで彼らは場所を探し、登記を済ませ、中古の机を購い、数台のコンピュータを手配し、さらに各人が数万元の現金を工面してきて、さあ営業開始です!

製品はあっというまに出来上がり、営業マンたちも期待に背かず、何人かの顧客が試用を申し込んできて、見たところ一切が順調に進みます・・・あなたは社長の札のついた席に座っている。人が入れ替わり立ち替わり業務報告にやって来て、あなたに書類のサインを求める。慌しく人が出入りする中で、あなたは「会社がどんなに窮地に陥っても椅子が1個ということはありえない」という例の話を思い出し・・・そんな夢想の中で思わず笑い声を漏らしてしまいます。ことほどさように順調なのですが、すぐに注文書がやってきて、当初掻き集めたお金では足りなくなります。それでも、あなたがたは喜んで各自追加資金を投入します。お金を出すとき、あなたはお金を数えながら目に涙をためて言うのです、「これがそのうちきっと利益を生んでくれるさ」と。開発した製品は確かに優れていましたし、営業の販売成績も良く、顧客もだんだんと増えて、また注文書も次々にやって来ます。毎日が高揚した気分にある中で、唯一問題なのは、顧客の支払いがいつも遅れがちなことですが、彼らはあと2、3日、あと2、3日したらすぐ払う、と請合うのです。代金回収はいつでも予定通りに行かないので、キャッシュフローを滞らせないために、またもやお金を工面します。この頃には一抹の不安が心の中に芽生えてきます。というのも、あなたの預金通帳がそろそろカラになりつつあるからです。「大丈夫、2、3ヶ月して代金を回収すれば、すべて問題解決だ。起業するのに何の苦労もしなかったなんて人はいない」 そう自分に言い聞かせて、またも仕事に舞い戻ります。資金はいつも代金回収と製造経営費用との橋渡しをする細く頼りない丸木橋のようで、帳簿上はいつもカツカツ、会社の規模の拡大や予期せぬ事態の発生のため、1度ならず2度、3度と共同経営者と自分の資金を投入し、その後はたぶん借りて来たお金で賄っていることでしょう・・・

そしてついにある日、会計担当がまたもあなたにこう言ってくるのです。「社長、現金が底を尽きました」 何度も苦い経験をしたあなたは、ついにキャッシュフローを見直すことを決心します。不要な人員を整理し、開発に投入する人数を減らし、営業が契約を締結するときは必ず代金のXX%を前払いし、割戻しも代金を受け取ったあとに支払うようにし、それと同時に製品の製造コストの管理も始めます。時は1日また1日と過ぎて行き、競争相手の製品もあなたの会社の製品のコピー品を作ったりして、自社の製品がだんだんとかつてほど先進的ではなくなり、営業部員も契約時の支払いに関する規定が厳格すぎてなかなか契約が取れない、と不平を言い始めます。製造コストの低減もまた通常バグの増加を引き起こし、顧客からも貴社のサービス要員は対応が遅いという不満が聞かれ始めます。

とうとうある日、あなたは改めて職業紹介センターに赴きます。前に来たときは人員募集に来たのですが、今回は自分の履歴書を携えて仕事を探し始めるのです・・・会社が成功するかどうかは、製品や販売が関係しますが、それよりももっと重要なのは資金と関係があるということです。製品と販売は資金を通じて補強できますが、何をもってしても資金には替えられないのです。つぶれる会社のうち、およそ99%は運転資金の枯渇と関係しています。起業を決断する前に、まず会社が必要とする1年分の資金の額を見積もりましょう。これには、人件費、製造費、場所代、広告宣伝費、営業費用が含まれ、さらに電気代、水道代等々・・・思いつく限りすべての費用を積み上げ、得られた数字がつまりは・・・あ、ちょっと待って・・・実際に起業した経験がないなら、この数にさらに3を掛ける必要があります。そうして出てきた金額が起業後1年間で最低限必要な費用です。ハハ、実際に会社運営に必要な費用は想像の3倍以上ですが、私の話を信じなくってもこればかりはどうにもなりません。

ささやかな提案:
起業以前で最も重要なことは、まず後の資金源を確保しておくことです! 言い換えれば、資金不足に陥ったらどうするかということ――なぜならあなたの自己資金だけでは絶対に足りないからです。

第7の道:副業
この類型に属する友人は数多くいますが、彼らは開発職から離れてはいません。ただし、勤務時間外にも絶えず仕事を請けたり、製品を販売したりしています。会社ではそれほど目立った存在ではありませんが、他の人から言わせれば、彼らはもっとも残業を嫌う人たちです。このため彼らは一般的に、日中熱心に仕事をします。この種の人たちは必ずしも稼ぎが多いわけではありませんが、平均すれば同僚と比べて1年で数万元ほど多く稼いでいますし、ときには会社の給料よりももっと稼いでいることもあります。ただどことなく怪しげなのは、この人たちは生活の安定を特に重要視していて、基本的に転職などはしないことです。たとえ陰ですでに小さな会社を立ち上げていたとしても、ふつうは会社を辞めたりはしません。

あなたの周囲にこうした人はいますか?この種の人たちを見分けるのは簡単です。彼らは電話することが多く、しかも電話するときは仕事場から離れて、人のいない片隅で話をしようとします。どこか謎めいていて、「こいつ女でも囲ってるんじゃないの?」といった感じがするのです。またこの人たちは女性にとって最適の結婚相手です。家庭的で、どこかの金持ち連中のように浮気などせず、収入もふつうの人と比べてかなり高めです。但し、この種の開発職の友人を見た限りで言えば、ちょっとがっかりするような結論に至ります。つまり、この種の人たちはたいてい背が低く、ビア樽みたいな体型なのです・・・

ささやかな提案:これはたぶん、開発者にとって一番良い道ですが、比較的高い収入があると、人は一般的にリスクを冒したくなくなります・・・これまでのところ、私の知る範囲では、この種の人たちで本当に成功したと言える人は1人もいません。

というわけで、自分がたまたま経験しただけのことでは、内容のある話などとてもできませんし、また自慢できるほど成功しているわけでもありませんが、ただ他の人たちよりも多少なりとも馬齢を重ねているため、これまでに少しは多くの人を見てきたはずです。そういうわけで、あえてこのような文章を書き、貴殿を笑わせてみました。以下は、たまさか開発という道を歩んできて、その経験から得られたちょっとした心得です。別に読まなくてもいいですが、読んだとしても決して驚かないでください。

1. 宮仕えであれ自分の事業であれ、全身全霊で仕事に打ち込むこと。どんな仕事であれ、それで人生における手札が1つ増えるのですから、これは何よりも一番重要なのです!そうした例を、私は少なくとも2つ挙げられます。かつて優秀な開発者が別の新会社に引き抜かれ、さらに多少の株まで与えられて新会社の株主になった例があります。当時、彼と同じ部門で同時期に、あるいはもっと先に仕事を始めた人が大勢いましたが、彼らは常日頃から暇を見ては仕事をサボり、手が抜けるところは手を抜き、ときには日頃熱心に仕事をしている人をバカだと嘲っていました。数年後、バカだったのは一体どっちだったんでしょうか?

2. もっと営業部門の人たちと付き合いましょう。彼らと付き合うと、彼らは自分より知識で劣り、ひどいときには教養がないときっと思うことでしょう。それにたぶん、あなたより女好きです。でも実のところ、彼らはあなたよりも世間というものを知っているのです! 彼らの世界に入って行って、彼らと一緒に賭け事をし、雑談し、サウナに行き、・・・彼らとの付き合いを通じてまた別の世界に触れられるのです。

インターネットまたはその他の場所で本職の仕事以外で何かプロジェクトや製品開発に参加する機会があったら(友達に引っぱられて何かちょっとした商売をするような、開発ではない仕事も含む)、たとえそれがお手伝いのような性質のものでも、積極的に参加しましょう。少なくとも多くの人たちと知り合いになれますし、そうすることであなたの人生においても多くのチャンスが得られることでしょう。

                                               ~完~

中国 IT開発エンジニアの悲哀③

の続き)

第2の道: 技術サポート、管理部門、製造部門などに転進する
同業者の一部は、何年か開発に従事した後、自分自身そんなに開発が好きではないとか、あるいは上の人から強制的に仕事を命じられたといった理由で技術サポートやサービス部門、管理部門などに移って行きました。少なくとも当時は、見た目には開発職よりも若干給料は少なかったのですが、実際に統計を取ってみると、彼らの半数は出世してサービス部門や管理部門の管理職になっていることがわかりました。中でももっとも優秀な一人は、社長補佐となって経営陣入りしていたのです。この類型の人たちのほとんどは、商売替えした当時は自分から願い出たのではなく、強制されてやむなく、もしくは何か別の原因があって転進したのです。しかし彼らは専門知識と技術を備えているため、非技術部門では明らかに抜群の人材でした。ことあるごとに専門家の視点から意見を提出し、そうこうして月日が経つうちに昇格や昇給の機会に恵まれたわけですが、これは別に意外なことではありません。仕事が開発でないため、経験が蓄積され始めます。この種の職業は一般に人に安定した感覚を与えます。30歳代以降になると、この分野はむしろ開発職より簡単に新たな仕事の機会が得られることに気づくことでしょう。

ささやかな提案: もし開発部門でどう見ても今後発展向上の機会が無さそうなら、試しに他の部門に異動してみても良いでしょう。生き方を変えてみて収入が多少減ったとしても、チャンスは多くなるのですから。

第3の道: 開発マネージャ
あなたが今すでに技師長とか開発部部長だったり、まもなくそうした地位に昇進する見込みがあるのだったら、おめでとうと言いましょう。あなたの行く道は、弼馬温から闘戦勝仏へ至る栄光の道です。あなたは高度な専門技能を身につけているだけでなく、コミュニケーション能力も明らかに優れています。あなたのような人は将来に対して何の心配も必要ありません。たとえ無一文になったとしても、たやすく徒手空拳から身を起こせるでしょう。魔除け剣法の達人と言って良いです。ウーン、もう言うことはありません。あなたがこの類型の人かどうかは簡単に判定できます。囲碁の世界では20歳で名手と呼ばれなければ一生望みはありません。

それと同じように、3、4年も働いて27歳かそこらになれば、自分で開発している時間よりも他人に指図している時間の方が多くなっていることに気づくことでしょう。しかもここの人たちは、これくらいの年齢ですでに自分の下に「手下」を持っているはずです。逆に、そろそろ30歳だというのに、まだ毎日PCの前にうずくまってプログラムや回路図を書いていたり、30過ぎでまだ開発部門の長になっていないのであれば(本人はいつだって自分もまだ十分望みはあると思っているものですが)、基本的にこの類型の人ではないと断定できます。とにかく、ここに属する人であれば考えるべきことはただ一つ、できるたけ早くミドルからエグゼクティブの出世の階段を駆け上ること。人生はときに偶然に大きく左右されます。しっかり自分の地位を固めておかないと、いつ転落するかわかりません!

ささやかな提案:
毎日社長の家に行ってゴマをすること!

第4の道: 留学または大学院へ行く
私の友人の中に、開発業務に従事したのち海外へ渡った人が2人います。そのうち1人は臨時職員から始めてチーフエンジニアの地位にまで登りつめ、データベースとソフトウェアに関しては非常に高い能力を持った人でしたが、それでも心の底では満足できず、何年も働いて貯めたお金を下ろし、苦労して貯めたお金をすべて出国費用や飛行機代に当て、さらにいくらかのお金を借りて、2002年に一万ドルを携えてカナダに行きました。カナダでは休む間もなく、求職、転職、また転職のくり返し、見つけた仕事は基本的にコンピュータとは無関係でしたが、給料はいつも1500カナダドル程度。ははは、人民元に換算すると、国内で仕事をしていたときにもらっていた給料と大して変わりませんね。でも、借りている地下の部屋代に300カナダドルが消え、それに食費を払い、さらにコンピュータを買ってインターネットを使ったりしていると、平均ではほぼ毎月赤字なのです。以前もらった手紙には、今は所持金が5、6000ドルくらいしかなく、最後に一縷の望みをかけて、小さな会社を作って中国向けに何か物が売れるかどうかやってみる、と書いてありました。もう1人の友人はそれよりも少し早くオーストラリアに行きましたが、まず1年ほど葡萄摘みをし、それから何とか技術関係の仕事を見つけることができました。毎日機械の設計図を書いていて、収入はそこそこで3000オーストラリアドル、中古車も買って一応資本主義社会で悪くない生活をしていると言えるでしょう。ただおととし一度帰国したとき、唯一嘆いていたのは、外国で2000米ドルの生活よりも、中国国内で5000元の生活の方がはるかに快適だということでした。

大学院に行った友達も2人いますが、そのうち1人は厳密に言えば開発出身ではなく、マーケティングに近い仕事をしていました。私の知り合いのには大学院を受けた人は少ないので2人分しか事例がないのですが、1人は大学院を終えた後北京で就職しました。月給は5、6千元くらいになりましたが、やはり開発職で、生活は大学院に行く前と何も変わらず、将来についても大した光明は見出せていません。相変わらず今後どうすれば良いのかわからず、まさにその日のことはその日に考えるといった様子で暮らしています。もう1人は大学院を卒業後大学に残りました。給料は以前よりもだいぶ減りましたが、たださすがに定年まで身分が保証されているので生活も安定し、一応それなりに成功したと言えるでしょう。こうした人たちは、緊張から開放されると空いた時間に何かやってみようと考える余裕も生まれ、今頃は少しずつ見通しがつき始めた頃でしょう。

ささやかな提案:この2つの道は、開発者にとってはどちらもあまり良いとは言えません。海外も10年前は良かったのですが、今は何とも言えません。大学院へ行って首尾よく転進できた人の割合はおそらくさほど高くないでしょう。半分以上はやはり開発の仕事に就き、院卒なので何年か長く仕事ができるだけです。

第5の道: 営業に転進する
よくよく考えてみると、私の知っている人の中で営業に行ったのはたった2人しかいません。それにこの2人はいずれも友人とは言えず、ただの知り合いでしかありません。彼らは2人とも自ら進んで営業に行ったのですが、その結果どちらも1年ほど営業の仕事をしたのち、自分の会社を立ち上げました。ハハ、不思議ですね、転業成功率は極めて高いです。ただよく考えてみると、この2人の考え方には本当に感服させられます。一ヶ月5、6千元の給料がもらえる開発職を捨てて、勝手のわからない仕事を始め、給料は毎月2千元プラス歩合給、しかも歩合なんてどうなるかわからない。それでもそう決断したのだから、彼らが自分の将来をはっきりと把握し、用意周到な準備をしていたとしか思えません。それに彼らはサービス部門や製造部門ではなく、あれこれ苦心の末なんとか上の人を説得して営業へ行ったのですが(営業部門と開発部門はふつうは会社のコア部門であり、そこに行くのは実のところ容易ではありません)、それも長期的な展望があったからだと言って良いでしょう。技術もあり、さらに顧客と関係を築くことができれば、ほどなくして大きなチャンスが到来するのも当然のことです。

実力を備え、入念な計画を持ち、加えて強い決断力があるこの類型の人たちは、おそらく大学卒業時か、あるいはもっと早い時期にすでに自分の生きる道を決めていたのでしょう。彼らが踏み出す一歩一歩は何年か前にとっくに周到に計画されていたのです。後から見ればそれは、技術の習得→営業へ転進→商機を待つ→会社設立という、何とも明快な道であったことが判ります。小学生や中高校生だったときは、誰もみな大学進学が自分の行くべき道だとはっきり知っていました。でもそれと同じように、最後に真に目標を達成できる人はごくわずかです(もちろん、大学定員がとんでもなく拡大した今では話は別です。今話しているのは私たちの時代、つまり「大昔、私があなたくらいの年齢だったころ」の話です)。

ささやかな提案:あなたがこの分類にあてはまるのであれば、私の提案は、え~と、、おいおい、ちょっと待ってくれ、君にちょっと協力してもらいたいことがあるんだ、お~い。

に続く)

中国 IT開発エンジニアの悲哀②

の続き)

もう1つ重要な点は、コンピュータという代物はあまりにも進歩が早く、2、3年前に買った最高スペックのコンピュータが今ではどう見てもゴミ同然になってしまっていることです。これだけならまだ良いのですが、もっと頭に来るのは、ほとんど毎日新たな知識を学ばなければならないことです。卒業したばかりの頃は教科書で学んだPASCALしか知らず、エッチングで回路基板が作れるだけ。就職するとすぐTURBO CとTANGER 2.0の勉強を始め、習得したと思ったら喜ぶ間もなくBorland C++とProtel 3.0の勉強を開始し、やっとモノにしたと思ったら今度はVCとProtel 98の勉強が必要なことに気づく。組み込み系も同じ。Z80の命令に習熟しても、それを仕事で使う間もなく8031を勉強しなくてはならず、ちゃんと習得したあかつきには一生これで食べていこうと思っていたのに、気づいてみれば今度はPIC、DSP、CPLD、FPGA、ARMなどが出てくる。しかもこの中にはまだその途中で学ぶべき74シリーズ、4000シリーズ、ナントカシリーズ・・・が入っていません。おまけにICカードにもCPUカードというのがあり、私が思うに、もし習得した知識を一文字ごとにことごとく換金できたら、開発者はみな大金持ちになっていることでしょう。

ちょっと見渡しただけでは、こうした生活は先々までは見通せないかもしれません。若いころは好きなことに没頭していれば疲れなんて感じなかったかもしれませんが、今となってはいつまでこんなことが続けられるか、きっと疑問を感じているはずです。誰だって「仙剣奇侠伝」みたいなRPGゲームで遊んだことがあるしょう。スタートしたばかりのときは、一文無しの少年に過ぎませんが、怪物を退治し、宝物を拾い、秘術を修めると、最後はついに偉大な英雄になるのです!あなたは現実の生活の中でゲームの侠客キャラよりももっと苦労しているのに、どうして生ける英雄になれないのでしょうか?ははは、原因はこうです。開発という仕事は尋常ならざる技だからです。この技は、習得すればたちまち小金持ちになれるのですが、その最大の特徴は経験が蓄積されないことです!知識は日進月歩で更新されていくため、いつも自分が遅れているように感じるのです。ちょうどRPGの主人公のように、始めたばかりですぐ剣1本と良い鎧兜をもらえますし、けっこう高い位階が与えられますが、経験が蓄積されないために、怪物を征伐し始めた頃は爽快でも、時間が経つにつれていずれは悲惨な死を遂げることがわかってくるのです。開発以外の職に就いている同級生とちょっと比べてみれば、すぐに判るはずです。たとえば、医学を学んだ友人と比べてみましょう。岳不群老人が華山の剣宗と気宗の区別について述べたくだりに当てはめて言えば、こうなります。「最初の十年は収入・地位いずれも開発がはるかに良いが、その後十年は両者どの点でもさしたる変わりなし、だが二十年以降はいかなる点でも医者とは比べ物にならん!」 ほら、もう魔除け剣法を笑えなくなってきたでしょ?

「敢えて問う、道は何処に有るか?道は足下に有り・・・」 孫悟空と猪八戒はこれでも良いかもしれませんが、あなたはどうでしょうか? 多くの開発者の30歳以降の生き方について以下にまとめてみたので、開発者の「道は何処に有るか」、そして開発者は30歳以降どうすれば良いのかを一緒に見ていきましょう。

第1の道: この「将来性」ある仕事を続けましょう!
手と足の指を使って仔細に勘定してみると、結構多くの同業者が30歳を過ぎてもまだ開発に従事しているのに気づきます。ここで言う「従事」とは、今でも毎日コンピュータでプログラムや回路図を書いているということです。下に部下がいるかどうかに関わらず、またナントカプロジェクトマネージャとか、上級エンジニアとかの肩書きが付いているかどうかに関わらず、まだ自分で開発しなければならない立場である限り、「従事」しているとみなします。その中の最年長者は63年生まれで、医療機器の開発に携わっています。35歳くらいでまだソフトウェアやハードウェアの開発をしている人も山ほどいます。このようにこの年でもまた開発に携わっている同業者を分析してみると、大体次のような特徴があることがわかります。

1. 仕事またはコンピュータのマニアで、夜8時から12時までの時間は基本的にパソコンデスクか仕事机の前で過ごしている。
2. 人付き合いが嫌い、友人が少なく、常日頃連絡を取っている人は5人以下。
3. 友人との付き合いでは、仕事の話をすることが多い。ただし、通常自分からお金の話をすることはない。
4. 体型は太っているか、痩せているかのどちらか。中間はない。
5. 将来の計画が無い。5年後の自分の生活がどうなっているか、どんな仕事をしているかはっきり言えない。
6. 倹約家で、みだりにお金を使わない。

たとえあなたがまだ30歳未満の開発者だとしても、上記にいくつ当てはまっているか見てみると良いでしょう。30歳以降もまだ開発職に従事しているかどうか、4つに適合していれば擬似陽性、5つ以上だったらこの類型であることはほぼ確定でしょう。この類型の人たちはたいていその日だけしか考えていないような生活を送っていて、この年齢となっては安易に転職もできず、若いときの鋭気もだんだんと失っていきます。唯一変わらないのは、いつの日か天から大金が降って来るのを願っていることです。実を言えば、彼らは性格的に限界があって、今後職場でこれ以上上に行けないのはほぼ確実と見てよいでしょう。小さなグループのリーダーとして数人の部下を率いて開発するくらいで、すでにキャリアの頂点なのです。

今後どう生きていくかに至っては、自分自身見当がつかないばかりか、たぶん天の神様にとっても頭の痛い問題でしょう。ただ、この類型の人たちは奇妙な共通点があります。彼らの子供はみな男の子なのです!これが偶然なのか、何か説明できる事情があるのかわかりませんが。

ささやかな提案: 運命を変えたければ、まず性格を変えること。半年間は夜仕事やゲームをしたり、TV見たりするのはやめ、その時間を人付き合いに使えば、あなたの人生は変わるかもしれません。

に続く)

中国 IT開発エンジニアの悲哀①

先日中国のウェブサイトで「IT开发工程师的悲哀」(IT開発エンジニアの悲哀)というすごく面白い投稿を見つけたので、ちょっと古い(2年前)投稿だけど翻訳してみた。日本でも「プログラマ35歳定年説」なんてあるけど、これを読むと、中国のIT開発者も30歳を越えると日本と同じくそれなりに厳しい状況だということが良くわかる。まぁ、それでも日本よりはずっとマシだとは思うけど。

日本のIT業界というと、もともと3K(きつい・きびしい・帰れない)などと呼ばれて評判が悪かったのが、最近ではKが増えて5K7K10K、挙句の果てには42K(!)というのまで出てきて、いまや最底辺の仕事みたいな言われようだ。中国でもIT業界は残業が多かったりするみたいだけど、日本と違って給料は良いし、自他ともに認める優秀な人材がプライドを持って仕事をしているという印象があったので、じつは中国のIT開発者も結構厳しい状況なんだというのがわかってちょっとびっくりした。

前置きはこれくらいにして、以下はこの投稿の拙訳。長いので4回に分けて掲載する。

  ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

             IT開発エンジニアの悲哀(翻訳)

        著者:LOVELUCK 提出日時: 2006-4-6 10:35:00

  おめでとう、開発者を職業に選んだあなた!
  ご愁傷様、開発者を職業に選んだあなた!

この文章で開発エンジニアと言う場合、プログラム開発者もしくは主としてデジタル回路の開発に従事する電子技術者だけを指します。あなたがコンピュータやエレクトロニクス、自動制御などを専門に選んで大学に入ったとき、本当はまだ他の業界で働くチャンスもあったのです。けれども、あなたは頑迷にも、やはり開発者となることを選びました。まさに自業自得です。とは言え、あなたもまた私と同様、世間では前途洋々と思われている「ホワイトカラー」の仲間入りを果たしたことに対して、ともかくようこそと言っておきましょう。あなたがひどく浮世離れした人ででもなければ、たぶん金庸の名著「笑傲江湖」を読んだことがあるはずです。この本には、「魔除け剣法」という奇妙キテレツな術が出てきます。初めてこの技の修行方法を読んだとき、あなたはきっと「なんじゃこりゃ~」と鼻で笑ったことでしょう。でも今私は、本当に辛いことですが、こう言わなければなりません。あなたが選んだ開発という仕事は、あなた自身の人生行路における「魔除け剣法」であり、しかもあなたはもう修行を終えてしまって、もはや後戻りはできないのだと。

大学を出たばかりのころ、同時期に卒業して別の業界に就職した同級生たちと比べて給料も高く、また不断の勉強によって専門知識を深めることで、あなたは生活に充実を感じ、また人知れず知的虚栄心を満たすことができたものでした。学校を出て何年かの間、あなたはしばしば後塵を拝している同級生たちのことを振り返って、内心憐れみを感じると同時に、自分自身もまた日々残業の労多い仕事に対して心の折り合いをつけたことでしょう。「努力をすれば報われる」というのが、相手が友達であれ妻であれ、当時あなたが最もよく口にしていた言葉でした。その次に多かったのは、会社の幹部に対する「ダメなら辞めます」という言葉でした。実際、何回かは本当に会社を去ったこともあったのです。そういえば、当時の数年間は経済条件が良好だったので、家を購入し、恋人と交際し、結婚して子供を作ったのでした。ときには心の中で、あと2年したら車を買うぞと誓ったことでしょう。もちろん、そうした大きな買い物の多くは、分割払いだったかもしれません。それでもあなたは将来に対して自信に満ちていましたし、今のような生活が、良くなりこそすれ悪くなることはなく、永遠に続くだろうと確信していました。

毎日がこうして淡々と、一日また一日と過ぎていきました。そうしてうかうかしているうちに、あなたは自分がそろそろ30になる、あるいはもう30になっていることにはたと気づき、得体の知れない、言い知れぬ不安が心の中に広がってくるのを感じたのです。自分の将来は何年か前みたいに良くなる一方ではないかもしれない、そう思ったかもしれません。そして突然、以前は見下していた同級生たちの少なからずが既に車を運転していて、何人かは自分よりもっと広い家に住み、しかもおそらくは一括払いで購入していることに気づくのです。自分の今の生活は他の同級生と比べてせいぜい中の上でしかありません。仕事をしていて何より不愉快なのは、時とともに上司に対してノーと言えなくなってきていることです。たとえあなたより後に会社に入った同僚が昇格や昇給しても、内輪で友人たちとお酒を飲むときに愚痴をこぼすくらいが関の山で、ボスの前ではあなたの声はますます小さくなり、笑顔もまたますます柔和になるのです。

あなたはついに迷い始めます。「あと何年かしたら、オレは何しているんだろう?」という言葉が心にしょっちゅう浮かんで来ます。開発は若さを資本とする仕事であり、はっきり言えば「若さを切売りする職業」なのです。おや、これはどこか特殊な業界で聞いたことがあるような気がしますね。この仕事の特徴はまず第一に、スケジュールがきついことです。1つの開発プロジェクトに与えられる時間は一般に非常に短く、そのうえ開発管理を謳っている書籍のいくつかは恥知らずにも、1つのプロジェクトを細分化し、その各断片を「マイルストーン」と名付けて開発の進捗状況を厳格に管理することを勧めています。残業にしても、他の業界であれば残業代が出るはずですが、この業界では会社によっては残業代など出たことがないというところだってあります。そりゃそうでしょう、どのみち納期は厳しく、仕事が終わらなきゃ詰め腹を切らされるだけなんですから。そういうわけで、開発という仕事には往々にして、他の仕事にはないストレスを伴うのです。

人は30の坂を超えると、家庭や子供の負担に加え、精力も減退するため、残業時間もだんだんと減ってきます。そうすると経営陣は、コイツはもうトシだな、使えなくなった、と考えます。そして人事部門に次のように指示するのです。「今後開発者を募集するときは、30歳以下に限定すること!」 ハードウェア開発者の場合、年齢の制限はどちらかというと若干緩くなりますが、それでも五十歩百歩です。
に続く→)

2008年7月10日木曜日

秘密基地

もうすぐ3人目の子供が生まれるというのに、まだ名前が決まっていない。上の2人に続き、次も男の子ということはとっくにわかっていたのだが、上2人でアイディアを使い果たしてしまったので、なかなか良い名前が思いつかない。今月末くらいには生まれそうなので、そろそろ何とかしないと・・・などと考えているうちに、上の子が生まれたときのことを思い出して、古い写真を引っぱり出してきた。

この写真は一番上の子が6ヶ月のときのもの。前月に心臓の手術をしたばかりだが、もうだいぶ元気になって笑っている。ウ~ン、この頃は本当に可愛かった! この子も今はもう小学2年生、体が丈夫になったのはいいが、すっかり悪ガキ面になって、赤ちゃんだったころの面影はもうない。おまけに面構えだけでなく、素行も悪ガキそのものだ。

先日、学校の家庭訪問があり、担任の先生が家に来た。僕は仕事で不在だったが、産休中の妻が応対した。家庭訪問というのはふつう、子供の学校での態度や様子、学習状況などを教えてくれるものだと思っていたが、夕方帰宅して妻にどうだった?と聞いてみると、学校の話は一切出ず、秘密基地の話だけで終わったと言う。はぁ?

秘密基地というのは、ウチの子と近所の友達と一緒にどこか近所に作ったものらしく、「オレ、今日秘密基地で遊んだ」などと子供が言っているのを何回か耳にしたことがあったので、僕も一応その存在くらいは知っていた。男の子だったら一度や二度は、そうした遊びをしたことがあるはずだ。だから、それまで特に気にしたこともなく、咎めだてしたこともなかった。

その秘密基地はどこかの家の裏庭みたいなところにあったようだ。子供らが頻繁に遊びにやって来ては、騒いだり、持ってきたお菓子を食べたりしたため、家の人がうるさくて閉口したらしい(ウチの子はひときわ声が大きい)。それで、あなたたちどこの子?と聞いたところ、ウチの子が元気に名前と学校名を答えたため、そのまま学校に通報されてあえなく御用となった。

子供らは先生に叱られて、秘密基地を別の場所へ移動した。しかし、移動した秘密基地へ行くときに、やはりその家の裏を通らなければならず、その際相変わらず周囲をはばからず大声で騒いでいたため、何日も経たないうちにまたもや学校に通報されてしまった。さすがに今回は単に叱るだけでは済まされず、担任の先生ともう1人の先生で現場まで行って事の次第を確かめることになったらしい。それで先生らが子供らに案内させて秘密基地に行ってみると、確かにそこに秘密基地らしきものがあり、お菓子を食べたり、何やら活動した痕跡も残っていた。驚くべきことに、秘密基地にはトイレもあり、聞いてみると子供たちはそこでときどき小便をしていたと言う。ただウチの子だけは小便だけでは飽き足らず、なんとウンチまでしていたらしい。これにはさすがに先生も唖然としたようだが、その日はもうウンチは跡形もなく消え去ってため、それ以上おおごとにはせず、家の人に謝って帰ってきたらしい。

で、その翌日がウチの家庭訪問の日だった。当然秘密基地の話になり、結局事の一部始終を説明しただけで家庭訪問の時間を使い切ってしまった、というわけだ。妻もこのとき初めて秘密基地の実態を知り、だいぶ恥ずかしい思いをしたようだ。やれやれ。

僕は心中ひそかに、家庭訪問のとき家に居なくて良かったと思っていたのだが、数日後たまたま休みを取って家に居たところ、今度は下校途中でウチの子供が行方不明になる事件が発生した。学校や子供の友達の家に電話したりして一騒動になったが、結局家に寄らず無断で友達の家に行っていたことが判明し、親子ともども学校へ行って担任の先生や教頭先生に平謝りに謝る羽目になった。少しくらい悪ガキでもいいが、親に恥をかかせるのはいい加減やめてほしい。