2016年12月27日火曜日

唐辛子を洗浄

先日、唐辛子の苗にアブラムシがついているのを発見した。

前から唐辛子の白い花に黒い小さな粒のようなものが付着していることがあって、うすうすきになっていたのだが、冬だし弱っているのかなと思っていた。それがアブラムシということに気づいたのが数日前。表面がベトベトしている葉っぱがあったので、調べてみたらアブラムシだった。

これまでは小さくて気づかなかったが、メガネを外して思いっきり近づいて葉の表面を見てみると、小さなホコリのような塊がところどころにあって、それがアブラムシだった。アブラムシなど見たこともないから最初はただのホコリのような気もして半信半疑だったが、さらに観察していると歩いているヤツとかもいて確信した。

放っておいて大繁殖すると大変なので、いろいろ調べて木酢液を約500倍に薄めて霧吹きで散布したのが昨日。しかし木酢液はアブラムシをつきにくくする効果はあっても、駆除する効果はないようだ。1日経った今日唐辛子を見てみると、昨日同様アブラムシがあちこちにいてさしたる効果があったとは思えない。さらに調べてみると、牛乳をスプレーするとか、農薬を使うとか、いろいろ方法が出て来たが、牛乳は洗い流さないといけないし、たった一鉢の唐辛子に農薬を使う気もしないし、決定的なのがなかった。

ただアブラムシは水に弱いらしい。なので鉢ごとどっぷり水に浸けて一網打尽に溺れ死させることも考えたが、それだけ深いバケツがなかったので、キッチンのシンクで水で洗い流すことにした。うちのキッチンの水はシャワーのように散水できるようになっており、数十センチほどホースで伸びるようになっている。なので鉢を横倒しにして苗全体にシャワーで水を浴びせかけることにした。

この写真は洗い流した直後のもの。写りが悪くてよくわからないが、アブラムシはほぼ洗い流せたようで見たところアブラムシはいなくなった。咲いている花が流水で取れて流されてしまうんじゃないかと心配していたが、なんともなかった。今後、アブラムシが出てきても、ときどきこうして洗い流せばよいだろう。気のせいか水浴びして全体的に血色も良く元気になったような気もする。

2016年12月24日土曜日

黄昏のグローバリズム

グローバリズムの錦の御旗が急速に色褪せてきている。

今年の後半になって、英国のEU離脱、保護主義を掲げるトランプの大統領選出、移民排斥を唱える欧州各国での極右の台頭など、目を疑うような出来事が矢継ぎ早に起こった。ほんの1年前まで、そんなことは現実的ではない、一部のワケのわからない人間が支持しているだけ、と思われていた主張が良識ある主張を引きずり降ろし、現実の政策となりつつある。

これまでもグローバリズムに対する批判がなかったわけではない。グローバリズムは格差の拡大や富裕層による富の寡占を助長したという見方はあったし、環境保護団体などによる反グローバリズム運動もあった。ただそれでもグローバリズムは経済成長をもたらしていることはある程度は認めたうえで、行き過ぎたグローバリズムに反対するというトーンで受けとめられていたと思う。

だがここ数ヶ月で起きた一連の出来事は、グローバリズムがいかに嫌われているかを白日の下に晒してしまった。昨日までは猫も杓子もグローバリズムと言っていて憚らなかったものが、いまや流行遅れのフレーズのように、口に出すのが恥ずかしい文句になりつつある。

グローバリズムの終焉は、単にある主義主張が力を失い、別な主義主張にとって代わられるだけの話にとどまらない。それとともに、自由な貿易によって経済は成長する、経済の成長とともに人々の生活は豊かになる、人々はより自由に世界を移動し、より多様で自由な行き方を選択できるようになるといった、これまでなんとはなしに共有されてきた考えが現実性を失い、人心が離れていくことを意味する。「われわれは99%」(We are the 99%.) のように、勤勉も真っ当な努力も苦労して手に入れた学歴も当てにならなくなったいま、なんでもいいから今の生活をなんとかしてほしいという人の集団が閾値を超えたとき、ポピュリズムが抬頭するだろう。次に金融危機が起きたら、それは恐慌と戦争への入り口になるかもしれない。1920年代の歴史を今のうちに学んでおいたほうがいい。


2016年12月23日金曜日

唐辛子

今年の夏に買ってきた鉢植えの唐辛子が、年末になってもまだ花が咲いている。


買ってきたときの札には「収穫時期 6月〜9月」と書いてあり、確かに8月には赤い実がなった。しばらくは同時に花もまだ咲き続けていたが、やがてそれもなくなり、新たなつぼみも出てこなくなった。実を収穫してしまうと唐辛子の苗が緑一色で地味になってしまうのが惜しくて採らずにいたのだが、10月末にもなると実がしわしわになってくる。それでついに半分ほどをを収穫した。

収穫を終えた唐辛子の苗は、遅咲きでまだ採らずに残しておいた10個ほどの実をつけたまま生き延びていた。葉にいささか元気がなくなってきたような気がしたので、半信半疑で100均で植物活性液というのを買ってきて鉢に挿してみた。すると、その効果なのか何なのかよくわからないが、しばらく(たぶんひと月ほど)止まっていた花がまた咲き始めた。それも1つ2つではなく、次々に新しいつぼみが出てきては咲いていく。葉っぱは夏に比べると明らかに小さく元気がないが、どういうわけかつぼみだけは次から次へと出てくる。11月から始まった開花ラッシュは12月になっても衰えず、今日も10個以上咲いている。

こうなるとできるだけ長く育ててやろうという気になるもので、まずベランダで育てていたのを暖かい室内に移動し、さらに減ってしまった土を補充したり、肥料をやったりして、これまで以上にこまめに面倒を見ている。もともと唐辛子は南方産の多年生植物で、日本だと越冬できずに1年草になっているらしい。目下の目標は越冬である。

2016年12月19日月曜日

ザリガニの脱皮

今年の夏からザリガニを飼っている。

別に飼うつもりはなかったのだが、一番下の子に付きあわされて近所の公園までザリガニを捕まえに行き、持って帰って来たら飼わざるを得なくなった。子供は自分で欲しがったくせに、世話はまったくしない。しょうがないので自分で世話をしていたら、いつの間にかそれが責務となってしまった。そんなわけで、今では私のザリガニになっている。

最初は4匹いたのだが、1匹は途中で死んだ。1つの水槽で飼っていたのでケンカして傷ついたらしい。何日かして、今度は体の一番小さい1匹が体の片側のハサミと脚を失っているのに気がついた。片側だけ脚がないため、体が傾いたままになっている。明らに他のザリガニのしわざだ。調べてみるとザリガニは攻撃性が強く、狭いところで一緒に飼うのは良くないらしい。それで傷ついた1匹を別の小さな水槽に隔離し、残りの2匹を大きめの水槽に入れた。エサのやり方も変えた。ご飯粒や煮干しをやるときは、1人前分の塊にして、それぞれのザリガニの目の前に落としてやることにした。こうすればエサの取り合いもなく、平和に暮らせる。それから、ザリガニらはケンカもせず穏便に暮らすようになった。

ハサミと脚を失った小さいザリガニはその後しばらく生きていたが、ある日水槽をのぞいてみると死骸となって横たわっていた。ついに死んだか、と思って割り箸で死骸を拾い上げると、驚くべきことにその傍らにザリガニがもう1匹いる。そこで初めてザリガニが死んだのではなく、脱皮したことに気づいた。早晩死ぬと思っていたザリガニは、思っていたよりもしぶとかったのだ。さらに驚くべきことに、ザリガニは数週間後にもう一度脱皮し、その頃には失ったハサミも脚もきれいに再生していた。

このザリガニにはもう一つ特筆すべきことがあって、なんと体が青みがかった透明なのである。最初に家に連れて帰ってきたときは普通の赤っぽい色だったのだが、飼っているうちにだんだんと青くなり、透き通った感じになってきた。エサに煮干ばかりあげているとそうなるという話も聞いたのだが、そもそも3匹いるザリガニには毎日同じエサを与えているのに、青くなったのは1匹だけだ。単純にエサだけでなく、個体の差もあるようだ。


この青いザリガニ、昨日3度目の脱皮をした。下の写真は脱いだ皮のほう。ほとんど完全なザリガニの形をしていて、水の中に漂っていると本物と勘違いしてしまう。


ザリガニ恐るべし。

2016年12月18日日曜日

タモリラーメン

シャンタンと味覇の違いを調べていたら、たまたまタモリレシピのラーメンが簡単で劇的にウマい、という記事を見つけたので早速作ってみた。

元ネタはこちら。作り方はじつに簡単で(だから作る気になったのだが)、ネギを切る以外は、調味料や粉末スープの素を入れる、即席麺を茹でるなど、猿でも作れそうだ。実際にやってみると、調味料もすべて目分量(というかテキトー)でも何ら問題なくおいしく作れてしまった。出来上がりはこのとおり。


元ネタでは即席麺(袋麺)だが、せっかくなので生麺でやってみた。そうしたところで単に2分半茹でるだけなので、手間も時間もほとんど変わらない。

食べ終わったところで子供が部活から帰ってきた。腹が減ったというので、早速今日2回めのタモリラーメンを作り方を教えながら作ってやったところ、ウマイウマイと言って食っていた。子供らはふだん、学校から帰ってきても母親が仕事から帰ってくるまで夕飯が食べられないため、そこらにあるおやつを食べ散らかしてやり過ごしている。今度からタモリラーメンを自分で作って食べとけ、と言ったら喜んで「そうする」と言っていた。柿の種やポテチを袋ごと食べるよりは遥かにいい。