グローバリズムの錦の御旗が急速に色褪せてきている。
今年の後半になって、英国のEU離脱、保護主義を掲げるトランプの大統領選出、移民排斥を唱える欧州各国での極右の台頭など、目を疑うような出来事が矢継ぎ早に起こった。ほんの1年前まで、そんなことは現実的ではない、一部のワケのわからない人間が支持しているだけ、と思われていた主張が良識ある主張を引きずり降ろし、現実の政策となりつつある。
これまでもグローバリズムに対する批判がなかったわけではない。グローバリズムは格差の拡大や富裕層による富の寡占を助長したという見方はあったし、環境保護団体などによる反グローバリズム運動もあった。ただそれでもグローバリズムは経済成長をもたらしていることはある程度は認めたうえで、行き過ぎたグローバリズムに反対するというトーンで受けとめられていたと思う。
だがここ数ヶ月で起きた一連の出来事は、グローバリズムがいかに嫌われているかを白日の下に晒してしまった。昨日までは猫も杓子もグローバリズムと言っていて憚らなかったものが、いまや流行遅れのフレーズのように、口に出すのが恥ずかしい文句になりつつある。
グローバリズムの終焉は、単にある主義主張が力を失い、別な主義主張にとって代わられるだけの話にとどまらない。それとともに、自由な貿易によって経済は成長する、経済の成長とともに人々の生活は豊かになる、人々はより自由に世界を移動し、より多様で自由な行き方を選択できるようになるといった、これまでなんとはなしに共有されてきた考えが現実性を失い、人心が離れていくことを意味する。「われわれは99%」(We are the 99%.) のように、勤勉も真っ当な努力も苦労して手に入れた学歴も当てにならなくなったいま、なんでもいいから今の生活をなんとかしてほしいという人の集団が閾値を超えたとき、ポピュリズムが抬頭するだろう。次に金融危機が起きたら、それは恐慌と戦争への入り口になるかもしれない。1920年代の歴史を今のうちに学んでおいたほうがいい。