2008年5月18日日曜日

幸福时光

《幸福时光》(邦題:至福のとき )は中国語を勉強し始めてから最初に観た中国映画の中の1つだ。中国語のリスニングの勉強用にDVDを物色していたときに監督が张艺谋ということでピックアップしたのだけれど、別に张艺谋がことさら好きだったというわけではなく、単に当時名前を知ってる唯一の中国人映画監督というただそれだけの理由で買ったのだった。

张艺谋について言えば、それ以前にも《红高粱》とかいくつか映画を観ていたし、その後に観た《活着》や《有话好好说》、《一个都不能少》とかも結構面白かった。ただ、この《幸福时光》ほど何度もくり返し観た映画はない。というか、そもそも何度もくり返し観た映画なんて张艺谋に限らずほとんどない。そういう意味で、これは単に好きというだけでなく、僕にとってはちょっと特別な映画だ。

《幸福时光》で一番印象的なシーンは、全編のちょうど真ん中あたり、主人公の盲人の少女"吴颖"(董洁)とニセ社長の"老赵"(赵本山)が街中で道の片端に座ってアイスを食べるところ。カネのない老赵は初めハーゲンダッツ風の店でアイスクリームを買おうとするがあまりの高価さに手が出ず、結局屋台で安いアイスキャンデーを買って吴颖に渡す。自分の分はない。2人はそのまま歩道の段のところに腰掛けて、吴颖だけがアイスを食べ始める。前や後ろでは、会社や学校帰りの人が行き交っている。目の見えない吴颖は老赵に訊く・・・ 「人はいっぱいいるの?」「いっぱいいるよ」「みんな何してるの」「勤め帰りだな。子供連れで買い物している人も」・・・母親と死別し、実の父親と養母にも半ば見捨てられた吴颖は、ここで初めて硬いガードを崩して打ち解けていく、、、

このシーンは映像の美しさもさることながら、三宝(という名前の作曲家です)の音楽がこれまたひどく繊細で美しい。この映画を何度もくり返し観たのは、今から思えば半分はこのシーンを観たいがためだったような気がする。

三宝の音楽があまりに気に入ったので、その後中国に行ったときに三宝の映画音楽を集めたCDも買って来た。《三宝影视歌曲 直接影响》というのがそれで、IとIIがあり、それぞれ2枚組みで合計4枚。《幸福时光》はIの方に2曲収められている(上のシーンとラストのシーンの曲)。

ちなみにこのCDのジャケットには、三宝が音楽を担当した映画のシーンがいくつか使用されていて、《幸福时光》の上記のシーンもそのうちの1つである。意味もわからないくせに私と一緒によく《幸福时光》を観ていた4歳の息子はこの写真を一目見て曰く、「アイスクリームが違う!」 後日、映画をもう一度観てみると、確かにCDの写真と映画では食べているアイスクリームの種類が違っていた。映画はいわゆるアイスキャンデーだが、CDの方はサーティワンみたいなコーン付きのアイスクリームになっている。子供の記憶力はスゴい。


2008年5月11日日曜日

スペンサーの料理

この本は就職して2年目くらいのときに料理本として買った。なかなか楽しい本で、3部構成の第1部はスペンサーシリーズに出てくる料理の解説(というか薀蓄)と作り方、第2部はお酒の薀蓄、第3部はボストンのレストランガイドになっている。ボストンに行ったことないし、お酒も飲めないので、もっぱら第1部だけ活用しているだけだが、単なる読み物としても面白いので損はない。

この本を買ったのはちょうどワインブームの頃だった。僕も会社が終わると毎日のようにそのままの足で三越に行き、ワインのハーフボトルを買って帰ったものだ。それからその頃はまだ結婚してなかった今の妻と夕食を作り、ワインを飲みながら食事をした。ワインは、最初はハーフボトルで売っているブルゴーニュを片っ端から買っていき、それが尽きるとイタリアワインをこれまた1銘柄ずつ買っていった。と言ってもぼくはロクに飲めないのでなんとか1杯だけ、残りはみんな妻が飲んだ。

料理はパスタとかイタリア(風)料理が多かったが、毎日とっかえひっかえいろんな銘柄のワインを飲んでるわけだから、料理の方もそれなりにある程度バリエーションが欲しくなる。そういうわけで、書店で見つけたちょっと毛色の変わったこの本を買ってみたわけだけど、今から考えるとけっこうヒマなことやってたんだなと思う。何ヶ月かするとワインの方は飽きてしまい、アルコールなしの食事に戻ったけれども、そのときに覚えたいくつかの料理はそのままレパートリーとして定着した。

この本に載っている料理の中で、うちで作って好評だったのは「ピスタチオとバジリコ・ソースあえのスパゲティ」と「チーズとオリーブのギリシャ風サラダ」だ。簡単に作れるわりに、意外にもプロっぽい香りと味になるので、お客さんが来たときにもいいと思う。
 

2008年5月4日日曜日

東京ステーションホテル

いつのまにか東京ステーションホテルが休業していたらしい。東京駅丸の内駅舎の改装のためとのこと。休業してから2年も経ってやっと気づいた。

10年以上前、まだ結婚するかしないかのころ、今の妻とよく旅行に行ってよく老舗ホテルに泊まった。日光の金谷ホテルとか、山中湖ホテルとか、それから山の上ホテルにも行った。横浜のバンドホテルなんかは何回も泊まったな。

山中湖ホテルでは、就職したばっかりでお金もないくせにディナーでワインを頼んでちょっと緊張した。ソムリエに注いでもらってテイスティングしたって味なんかわからないし、そもそもそれ以前に酒が飲めない。それでもワインを頼んだのは、妻が飲めるのと、あと立派なレストランなのでワインくらい注文しないといけないのかなと思ったからだ。でもそれからほどなくして山中湖ホテルはなくなってしまった。

山の上ホテルでは、チェックインして部屋に通されるとすぐにメイドさんがお茶を持ってきてくれるのだが、そうとは知らずに着替えをしていて、ズボンを膝まで半分降ろした状態でメイドさんと対面してしまった。メイドさんは部屋に入るときにちゃんとノックしてくれたのだが、妻が何も考えずに中へ通してしまったのでそんなことになってしまったのだ。あれは今思い出しても恥ずかしい。

上の写真は7年前に東京ステーションホテルに泊まったときに撮ったもの。そのときの日記にはこう書いている。

2001/08/31 (金)
出張で「東京ステーションホテル」に2泊して帰ってきた。「日光金谷ホテル」みたいに由緒正しい古いホテルで、客室 (とくに浴室)の使い勝手などは今時のシティホテルに劣るけれども、規格化された現代のホテルにはない面白みがある。一言で印象を言えば、古い映画に入り込んでしまったような気分だ。拙者が泊まった部屋は東京駅の丸の内南口のドームをぐるりと取り囲むように位置している部屋のひとつで、窓から外を見るとドームの内側が見渡せるようになっていた。勤め帰りのビジネスマンやOLが改札口に次々吸い込まれていくのを眺めるのはなかなか愉しかった。

人に見せるつもりのない日記なので偉そうに「面白みがある」なんて書いてるし、なぜか1人称が「拙者」になっている。変な文章で我ながらイヤになるが、面倒なのでそのまま上げてしまった。ホテルは営業再開後も昔の雰囲気が残っているとうれしいけど、どうなるんだろうか。

2008年5月3日土曜日

落花流水

落花流水という言葉にはいくつかの意味があるようだ。goo辞書で調べてみると、まったく異なる解釈が2つ載っている。思いっきり省略して抜粋すると以下のとおり(全文はこちら)。

(1) 過ぎ行く春の景色。転じて、物事の衰えゆくことのたとえ。
(2) 相思相愛。

素直に考えれば、花が散って川の水に流されて行く、と考えるのが普通だろうから、(1)の意味は直感的に納得できる。(2)の意味はなぜなのか見当もつかなかったが、goo辞書では「散る花は流水に乗って流れ去りたいと思い、流れ去る水は落花を乗せて流れたいと思う心情を、それぞれ男と女に移し変えて生まれた語」と説明されている。

と、ここまでは日本語の話。気になった中国語でも調べてみると、驚くことに意味が全然ちがう。以下は中日大辞典で調べたものの抜粋。

(一) 晩春の景色
(二) さんざんに(打ちのめされる)
(三) 金魚の一種

(一)は日本語の(1)とほぼ同じなので良いとしても、(二) はこれまたどうしてこんな意味で使われるのか皆目見当がつかなかったので私の漢語老師に聞いてみたところ、次のような使い方をするらしい。

 日军被游击队打得落花流水・・・(訳)日本軍はゲリラ部隊によって蹴散らされた。

つまり、ボロボロになって水に落ち、ダーァッと水に流されてハイおしまい、って感じみたいだ。言われてみればなるほどという気がする。(三)はたぶん、落花流水という種類の金魚がいるんでしょう。このほかにも、昔は落花流水図案という絵柄があって、杯に描かれたりしたらしいけど、ここらへんはあまり知識がない。

ちなみに、私の漢語老師は落花流水と聞いて、それは落花有意,流水无情(落花有意、流水無情)から来たんじゃないかと言っていた。中国語辞書を引いてみると、これまた違う意味が載っている。小学館の中日辞典だとこうなっている。

 落花有意,流水无情・・・落花が思いを寄せても、流れはつれない。片思い。

日本語の落花流水は相思相愛だったのに、こっちは寂しいことに片思いになってしまっている。

2008年5月2日金曜日

篆書体

篆書体のフォントを無料で提供しているサイトを見つけたので、早速ダウンロードして試してみた。72ポイントのボールドだとこんな感じになる。なかなかいい感じ(念のため言っておくと、「落花流水」と書いています)。



このフォントは白舟書体という会社のもので、本来は有料だが、教育漢字1006文字とひらがな及びカタカナだけを収めた教育漢字版は無償でダウンロードして使うことができる。

2008年5月1日木曜日

主夫と生活

かの伊丹十三が翻訳した『主夫と生活』は愉しい本だ。ハーバード大学卒業の成功したコラムニストである著者が、40歳にして突然引退し、家庭の主夫として過ごした1年間の日々を、軽妙な筆致で、というかあちこちで爆笑してしまうほど楽しげに書いたものである。大の男が慣れない家事でヘマをこき、抜け目のない子供らに振り回され、親や友人から奇異な目で見られ、クーポン券を集めたりして性格がしみったれていき、という具合で話が進んでいく。70年代のアメリカということもあってか、結婚とかジェンダーとかの問題にも興を殺がない程度でさりげなく触れられている。

この本を初めて読んだのは高校生くらいのときだと思うが、もともと現世逃避的な性格なので一読してすっかり気に入ってしまい、将来は「主夫」になると決めてしまった。

以来、20年以上経ったが、結婚して子供も出来たものの、経済的な問題のためなかなか主夫にはなれない。それどころか、昼は会社で仕事、朝晩は家事をする「兼業主夫」という最悪の展開になっている。現実は生易しいものではない。

「主夫」という言葉は今ではすっかり認知されているようで、wikipediaにも主夫の項目があるし(Googleで"主夫"で検索すると真っ先に表示される)、主夫ブログみたいなのもけっこうあるようだ。ただ、もともとは伊丹十三がこの本を翻訳したときに冗談半分で作った造語だと思う(僕の持っている本では、表紙のタイトルの"夫"の字だけ青で強調されている)。僕の記憶では、それ以前にこのような言葉は無かった。ちなみに本書の英語の原題は "My Life as a Househusband" となっているので、househusbandが原語でそれを「主夫」と訳したようだ。

とっくに絶版になっているみたいだけど、古本が安く手に入る。ちなみに伊丹十三のお父さんの伊丹万作も本業は映画監督ながら筆が立つ人で、この人のエッセイはちょっと日本の作家にしては珍しく理系的な鋭さが感じられる秀逸なものだ。エッセイ集(伊丹万作エッセイ集 )と全集(全3巻)がある。残念ながら全集は簡単には手に入らないみたいだが、図書館にあればタダで読める。