(②の続き)
第2の道: 技術サポート、管理部門、製造部門などに転進する
同業者の一部は、何年か開発に従事した後、自分自身そんなに開発が好きではないとか、あるいは上の人から強制的に仕事を命じられたといった理由で技術サポートやサービス部門、管理部門などに移って行きました。少なくとも当時は、見た目には開発職よりも若干給料は少なかったのですが、実際に統計を取ってみると、彼らの半数は出世してサービス部門や管理部門の管理職になっていることがわかりました。中でももっとも優秀な一人は、社長補佐となって経営陣入りしていたのです。この類型の人たちのほとんどは、商売替えした当時は自分から願い出たのではなく、強制されてやむなく、もしくは何か別の原因があって転進したのです。しかし彼らは専門知識と技術を備えているため、非技術部門では明らかに抜群の人材でした。ことあるごとに専門家の視点から意見を提出し、そうこうして月日が経つうちに昇格や昇給の機会に恵まれたわけですが、これは別に意外なことではありません。仕事が開発でないため、経験が蓄積され始めます。この種の職業は一般に人に安定した感覚を与えます。30歳代以降になると、この分野はむしろ開発職より簡単に新たな仕事の機会が得られることに気づくことでしょう。
ささやかな提案: もし開発部門でどう見ても今後発展向上の機会が無さそうなら、試しに他の部門に異動してみても良いでしょう。生き方を変えてみて収入が多少減ったとしても、チャンスは多くなるのですから。
第3の道: 開発マネージャ
あなたが今すでに技師長とか開発部部長だったり、まもなくそうした地位に昇進する見込みがあるのだったら、おめでとうと言いましょう。あなたの行く道は、弼馬温から闘戦勝仏へ至る栄光の道です。あなたは高度な専門技能を身につけているだけでなく、コミュニケーション能力も明らかに優れています。あなたのような人は将来に対して何の心配も必要ありません。たとえ無一文になったとしても、たやすく徒手空拳から身を起こせるでしょう。魔除け剣法の達人と言って良いです。ウーン、もう言うことはありません。あなたがこの類型の人かどうかは簡単に判定できます。囲碁の世界では20歳で名手と呼ばれなければ一生望みはありません。
それと同じように、3、4年も働いて27歳かそこらになれば、自分で開発している時間よりも他人に指図している時間の方が多くなっていることに気づくことでしょう。しかもここの人たちは、これくらいの年齢ですでに自分の下に「手下」を持っているはずです。逆に、そろそろ30歳だというのに、まだ毎日PCの前にうずくまってプログラムや回路図を書いていたり、30過ぎでまだ開発部門の長になっていないのであれば(本人はいつだって自分もまだ十分望みはあると思っているものですが)、基本的にこの類型の人ではないと断定できます。とにかく、ここに属する人であれば考えるべきことはただ一つ、できるたけ早くミドルからエグゼクティブの出世の階段を駆け上ること。人生はときに偶然に大きく左右されます。しっかり自分の地位を固めておかないと、いつ転落するかわかりません!
ささやかな提案:毎日社長の家に行ってゴマをすること!
第4の道: 留学または大学院へ行く
私の友人の中に、開発業務に従事したのち海外へ渡った人が2人います。そのうち1人は臨時職員から始めてチーフエンジニアの地位にまで登りつめ、データベースとソフトウェアに関しては非常に高い能力を持った人でしたが、それでも心の底では満足できず、何年も働いて貯めたお金を下ろし、苦労して貯めたお金をすべて出国費用や飛行機代に当て、さらにいくらかのお金を借りて、2002年に一万ドルを携えてカナダに行きました。カナダでは休む間もなく、求職、転職、また転職のくり返し、見つけた仕事は基本的にコンピュータとは無関係でしたが、給料はいつも1500カナダドル程度。ははは、人民元に換算すると、国内で仕事をしていたときにもらっていた給料と大して変わりませんね。でも、借りている地下の部屋代に300カナダドルが消え、それに食費を払い、さらにコンピュータを買ってインターネットを使ったりしていると、平均ではほぼ毎月赤字なのです。以前もらった手紙には、今は所持金が5、6000ドルくらいしかなく、最後に一縷の望みをかけて、小さな会社を作って中国向けに何か物が売れるかどうかやってみる、と書いてありました。もう1人の友人はそれよりも少し早くオーストラリアに行きましたが、まず1年ほど葡萄摘みをし、それから何とか技術関係の仕事を見つけることができました。毎日機械の設計図を書いていて、収入はそこそこで3000オーストラリアドル、中古車も買って一応資本主義社会で悪くない生活をしていると言えるでしょう。ただおととし一度帰国したとき、唯一嘆いていたのは、外国で2000米ドルの生活よりも、中国国内で5000元の生活の方がはるかに快適だということでした。
大学院に行った友達も2人いますが、そのうち1人は厳密に言えば開発出身ではなく、マーケティングに近い仕事をしていました。私の知り合いのには大学院を受けた人は少ないので2人分しか事例がないのですが、1人は大学院を終えた後北京で就職しました。月給は5、6千元くらいになりましたが、やはり開発職で、生活は大学院に行く前と何も変わらず、将来についても大した光明は見出せていません。相変わらず今後どうすれば良いのかわからず、まさにその日のことはその日に考えるといった様子で暮らしています。もう1人は大学院を卒業後大学に残りました。給料は以前よりもだいぶ減りましたが、たださすがに定年まで身分が保証されているので生活も安定し、一応それなりに成功したと言えるでしょう。こうした人たちは、緊張から開放されると空いた時間に何かやってみようと考える余裕も生まれ、今頃は少しずつ見通しがつき始めた頃でしょう。
ささやかな提案:この2つの道は、開発者にとってはどちらもあまり良いとは言えません。海外も10年前は良かったのですが、今は何とも言えません。大学院へ行って首尾よく転進できた人の割合はおそらくさほど高くないでしょう。半分以上はやはり開発の仕事に就き、院卒なので何年か長く仕事ができるだけです。
第5の道: 営業に転進する
よくよく考えてみると、私の知っている人の中で営業に行ったのはたった2人しかいません。それにこの2人はいずれも友人とは言えず、ただの知り合いでしかありません。彼らは2人とも自ら進んで営業に行ったのですが、その結果どちらも1年ほど営業の仕事をしたのち、自分の会社を立ち上げました。ハハ、不思議ですね、転業成功率は極めて高いです。ただよく考えてみると、この2人の考え方には本当に感服させられます。一ヶ月5、6千元の給料がもらえる開発職を捨てて、勝手のわからない仕事を始め、給料は毎月2千元プラス歩合給、しかも歩合なんてどうなるかわからない。それでもそう決断したのだから、彼らが自分の将来をはっきりと把握し、用意周到な準備をしていたとしか思えません。それに彼らはサービス部門や製造部門ではなく、あれこれ苦心の末なんとか上の人を説得して営業へ行ったのですが(営業部門と開発部門はふつうは会社のコア部門であり、そこに行くのは実のところ容易ではありません)、それも長期的な展望があったからだと言って良いでしょう。技術もあり、さらに顧客と関係を築くことができれば、ほどなくして大きなチャンスが到来するのも当然のことです。
実力を備え、入念な計画を持ち、加えて強い決断力があるこの類型の人たちは、おそらく大学卒業時か、あるいはもっと早い時期にすでに自分の生きる道を決めていたのでしょう。彼らが踏み出す一歩一歩は何年か前にとっくに周到に計画されていたのです。後から見ればそれは、技術の習得→営業へ転進→商機を待つ→会社設立という、何とも明快な道であったことが判ります。小学生や中高校生だったときは、誰もみな大学進学が自分の行くべき道だとはっきり知っていました。でもそれと同じように、最後に真に目標を達成できる人はごくわずかです(もちろん、大学定員がとんでもなく拡大した今では話は別です。今話しているのは私たちの時代、つまり「大昔、私があなたくらいの年齢だったころ」の話です)。
ささやかな提案:あなたがこの分類にあてはまるのであれば、私の提案は、え~と、、おいおい、ちょっと待ってくれ、君にちょっと協力してもらいたいことがあるんだ、お~い。
(④に続く)