たとえば、先進国ではゴミはゴミでしかない。ゴミには価値がないどころか、ときにはお金を払ってでも処分する。だが、貧困国ではゴミは資源になる。ゴミの山に埋もれているペットボトルを拾えばわずかばかりのカネになる。ニューヨークのホワイトカラーでも同じようにペットボトルを拾ってスーパーマーケットに持っていけば5セント稼げるが、そんなことをする人はない。一方、インドに行けば、ゴミ拾いする少女などいくらでもいる。違いはニューヨーカーは物質的に恵まれた生活をしているのに対し、インドの少女は今日食べるものにも困っているという点だ。境遇の違いが、行動の違いを生み出している。そういうわけで、貧困国にはゴミ拾いをする子供がたくさんいるのだ。
もっともあらゆる社会現象や文化、風習がすべて費用と便益で決まっているわけではない。逆に、文化的慣習が影響を及ぼして価格を歪めることもある。フランスでは馬肉は1キロ30ユーロで買えるが、アメリカでは馬肉を売ること自体法律で禁止されている。
それにしても、費用と便益の関係が社会のすみずみにまでいかに影響を及ぼしているかに驚かされる。これまで文化や風習、常識、道徳だと思っていたものが、じつはその成り立ちが損得勘定でかなりの部分が説明できてしまう。昔、中島らもが鬱病の症状を薬で緩和できることついて、文学とか芸術を生み出してきた人間の精神がこんなもんでコントロールできちゃっていいのかみたいなことを言っていたが、この本を読むと社会や文化がカネにこんなに影響されちゃうものなのかと思う。経済学者を齧った人にとっては当たり前の話なのかもしれないが、経済学ド素人にとってはすごくおもしろい本。